「講演会」日記帳
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映画のポスター 資料館1 資料館2
集合写真(参加者:29名)
【レポート:羽澄 勝さん】
NHKの江口義孝氏に再度登壇していただき東アジア情勢の見方について興味あるお話を聞かせたもらいました。
【講演会データ】
・講師:江口義孝氏 (大分県出身 前、NHK報道局国際部長 現、スポーツ放送センター長)
・日時:2006年1月26日(木)
・会場:飯田橋 東京都仕事センター
・講演の内容
○東アジア情勢にかかわる主要国家
○東アジアの安全保障
○今後の課題
◆第57回ふれあい充電講演会を聞いて
近くて遠い国、韓国、中国。遠くて近い国、タイ、マレーシア、シンガポール。近くて近い国台湾。アジア諸国とどう付き合えばよいか。東西の冷戦構造が崩壊した後、アジア地域に残る社会主義独裁国家中国、北朝鮮。
靖国から竹島、尖閣列島、東シナ海油田開発など近隣諸国との摩擦に懸念を感じていたので、今回の「東アジア情勢の見方」は、2006年の初頭を飾るに相応しいテーマであった。
アジア諸国家を、国力の趨勢を加味して考えると、何といっても人口が桁違いに多く、1国2制度のもと経済発展著しい中国の動きが最大のポイントになろう。
アジア地域には、ヨーロッパのような安全保障機構がないのが不安材料である。現在、中国が中心に進めている6カ国協議を、これに代わる機構にすることができないか。中国が2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博を、民主化へ向かう契機に活用することができるかが、今後を占う最大のポイントであろう。
北朝鮮は、原子力をネタに瀬戸際外交で有利に展開しようとしているが、国家の基礎体力に乏しいので、基本的には6カ国協議の枠組みでコントロールできるのではないか。
わが国は、戦後平和憲法のもと世界第2の国力を持ちながら、今日の安定的な国際的地位を保ってきたが、これからは「憲法改正」「防衛庁の省への昇格」(自衛隊の軍隊化)「国連常任理事国入り」問題などで、外国の目がわが国の動きを認めるかどうか、重要な場面を迎えようとしている。
講師の江口氏は、長年の経験からニュースを評価する視点を駆使し、NHKの映像画面ではいえない、いわば本音の分析を率直にお話頂いたので、迫力に引き込まれ時間の経過を忘れるほどであった。主観的な分析を交えながら、客観的に考えさせるお話で、大変参考になった。【レポート:奈良原理事長】
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/96/0000143096/16/imgb860e9cb4rvpkw.jpeg
(大鵬部屋の玄関をみて)
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/96/0000143096/17/imgfa1dbab24rvx9o.jpeg
(黒い布と思しきはお相撲さんのふんどしですでした)
深川江戸資料館でも館長直々の案内で、忠実に再現された江戸庶民の長屋にしばし江戸時代の雰囲気に浸る事
が出来た。ここは両国の民族博物館よりも忠実に再現されており、両国を見た後こちらを見に来る人達が増えているとか。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/96/0000143096/18/img7bce07614rw4fg.jpeg"
【当日の次第】
一 講話「座禅の作法」 岩佐師
二 読経「般若心経」 参加者全員
三 坐禅 全員(希望者には座椅子の用意あり)
四 昼食 精進料理で 師を囲んで懇親
【開催データ】
・日時:9月18日(日)10:30〜13:30
・会場:満福寺 国分寺市戸倉4−34−3 042-321-3594
・参加者:23名(会員10名 一般13名)
・日時:7月22日(金) pm6時―7時30分
・会場:東京しごとセンター5F セミナー室
・参加者:38名
・懇親会:(講演会の後開催 18名参加)
■第49回(5月)「近代数寄者の楽しい交遊…世外・鈍翁・三溪・耳庵を中心として…」
昨年5月から11月まで「メルマガIDN」に13回連続して掲載された井出昭一氏の「柳緑花紅」は、東京国立博物館の建物・樹木などの知られざる魅力や、ボランティア活動の実態を詳しく紹介し、読者から好評をいただきました。
今回は、一転して数寄者(すきしゃ)についての楽しいお話をいただきました。
明治から昭和にかけて、日本の政界、経済界で中心になって活躍した井上世外(馨)、益田鈍翁(孝)、原三溪(富太郎)、松永耳庵(安左エ門)は、数寄者としても日本の古美術、茶道具に並々ならぬ関心を持ってその蒐集に努めた。それら公私にわたる交遊は、時には師弟、時には友人、時にはライバルと極めて複雑かつ親密な関係がある。今回は、この4人のコレクション、交遊、美術品の移動にまつわる秘話などを分かり易く紹介してもらいました。
今回新たに井出さんが苦労して作成された「近代数寄者の関係図」の中で、前記の4人のほか高橋義雄(箒庵)が重要な役割を果たしていたことなど、知れば知るほど興味を寄せられるお話でいっぱいでした。
記
・テーマ:「近代数寄者の楽しい交遊…世外・鈍翁・三溪・耳庵を中心として…」
・講 師:井出昭一氏(東京国立博物館生涯学習ボランティア)
・日 時:5月23日(月) 午後6時―7時30分
・会 場:東京しごとセンター5F 第1セミナー室(定員42名)
・懇親会:講演会の後任意参加で行われました
4月5日から古希の記念に俳画を中心とした作品展を成功裏に終了したお馴染みの金田和友さんは、昨年、念願の熊野古道を歩かれました。熊野古道は国の史跡に指定されていますが平成16年7月7日に世界遺産リストに登録された紀伊山地の霊場と参詣道に含まれ、脚光を浴びています。なにはともあれ行ってみようと飛び出した金田さんの道中記はホームページにも紹介されています。
金田さんのホームページ http://www.h4.dion.ne.jp/%7Ewasanjin/
講演者からのメッセージ
関東百観音をめぐり終え、現在多摩88ヶ所札所巡りに挑戦中。結願の暁にはいずれ高野山に詣でる積もりなので、その下見もかねてツアーに申し込みました。一昨年大病を乗り越えたのを機会に,国東半島200キロの遍路旅をして往古の霊的なものに惹かれるようになりました。この紀伊山地のツアーでも随所でそれを味わえるだろうと期待しながら旅にでました。
記
・テーマ:「駆け足で世界遺産を巡る旅 熊野古道」
・講 師:金田和友氏(IDN会員)
・日 時:4月19日(火) pm6時―7時30分
・会 場:東京しごとセンター5F 第1セミナー室(定員42名)
・出 席:25名(内 会員18名)
「35才の講師はIDNはじまって以来の最年少講師です」と紹介したが、実は、「31才」が正確な年齢であった。恩師の手紙で紹介。「たかが野球の世界。しかし、その野球の中から生まれて来る人間の生き様・いろんな思いを身体全体で受けとめていく。それを縁あって出会えた選手たちに伝えていく。そしてその彼等が、いずれ活躍してくれる社会で大いに役立ってくれる。この巡りを私はいつも夢見ております。卒業生の一人、本田智之も2月21日が近づき、心の状態も随分高まってきたのでしょう。情報を仕入れる為、私によく電話してきてくれます」こんな中野監督の手紙に触れて、若き講師を紹介した。
話の核心は、赤色のファミリアに乗って新下関の駅まで、高校生の本田少年を出迎えにきたジャンパー姿の恩師との出会いからはじまる。入部テストはいきなり本田少年に練習試合でピッチャーをさせ、牽制球で5回も塁上のランナーを刺したとき、「ホーっ」と感心しながら「どうすればあのような牽制ができるのかね」と試験官が受験生に教えを乞うてきたのに本田少年が驚いた場面からはじまる。
晴れて1年生になった本田投手は大活躍。東亜大学は2部リーグで優勝し、入れ換え戦でも勝って一部に昇格。秋のシーズンでは4位に躍進した。
2年生になってこれからという時に、監督は天狗になった本田投手をミーティングに参加させなくなった。本田少年は監督に何度謝っても許してもらえなかった。頑固なまでの中野監督の仕置きは結局1年間続いた。
監督夫妻が本田少年に対する応対で夫婦喧嘩をはじめ、二人の間で離婚話まで持ち上がったという。3年生になって、監督はいきなりエースピッチャーとして本田投手をチームに迎え、その年の秋、中国6大学リーグで優勝。明治神宮野球大会に出場し、法政、東海、青山学院大を破って、見事全国制覇を成し遂げたのである。
本田は、その優勝の瞬間の「歓喜の写真」を指差して、「この背番号21が私です。この時私は皆に何といったと思いますか」と尋ねる。「ピッチャーが投げた球を野手が取ってくれる。この当たり前の光景が、ピッチャーである私からからすれば、こんな有難いことはない」「有難う!」と云いましたと本田はいう。ここにチームづくりの原点があったのか!
講演後、本田から貰ったメールを紹介しよう。
「返信遅くなりまして申し訳ありません。こちらこそ、なにからなにまでお世話になりまして、ありがとうございました。私自身もこの講演で、もう一度自分自身に立ち返り忘れていた原点を思い起こすことができたとおもいます。この経験を生かし次につなげていきたいとおもいます。本田 智之」
【レポート:奈良原理事長
】
◆演奏者のご紹介
桃井実千子さん: 生田流国風音楽奨励会師範「言音遊び」音楽担当 神奈川県大和市在住
小野寺歌波さん: 生田流筑紫会師範「アンサンブル・ヴェガ」代表 群馬県高崎市在住
山田都久山さん: 都山流尺八竹琳軒大師範「都久山と邦楽アンサンブル」代表
神奈川県横須賀市在住
◆日時: 1月17日(月)PM6:00〜7:20(終了後自由参加の懇親会)
◆プログラム
1.日本古謡 「越天楽」 笙 桃井実千子
2.宮城道雄作曲「春の海」 箏 小野寺歌波 尺八 山田都久山
3.野村正峰作曲「篝火」 箏 桃井実千子 小野寺歌波 尺八 山田都久山
**** 休憩 ****
4. 筑紫歌都子作曲「黒田節変奏曲」 箏 桃井実千子 小野寺歌波 尺八 山田都久山
5.水野利彦作曲「じょんがら変奏」 箏 桃井実千子 小野寺歌波 尺八 山田都久山
アンコールをお願いしたら、当日の演奏よりリクエストしてほしいとのことで、「春の海」を演奏していただきました。 お琴の調弦の間に、山田都久山さんが千 昌男の「北国の春」を、こんなことも尺八でできると言って演奏してくださいました。
■桃井実千子さん(箏奏者) 「お箏は おすましして奏するもの?」
IDN会会員のみなさまはじめまして。1月17日の第45回「ふれあい充電講演会」にお招きをいただきました桃井実千子と申します。今日は お箏について少しお話をしたいと存じますのでお付き合い下さい。
私が生まれ育ったのは 福島県の山村の石川町です。お隣がお箏の先生のお宅で朝から晩までお箏の音が聞こえていました。私の方から“お箏を習いたい。”と母に言ったそうです。テレビはもちろんラジオも普及していませんでしたので 毎日お箏の音を聞いて育ちました。「六段」を弾いた時は(7歳でした)ちょっぴりよい気分になりましたが 曲の奥深く存在する気高さ・色っぽさ・時のうつろい・雄大さなどを知ったのはだいぶ後です。
ところで 「六段」の作曲者八橋検校(1613〜1683)は 大作曲家バッハ(1685〜1750)とほぼ同世代であることはご存知ですか? バッハの作品は難解なものが多いですね。しかしヴァイオリン・チェロは世界中に伝わり世界中の演奏者が発表していますので,聴く機会はたくさんあります。それに比べ邦楽はどうでしょう。お正月にながれる「春の海」「さくら」くらいで その機会はあまりにも少ないのです。演奏会にでかけても「お箏は聞いてもよくわからないし近寄りがたくて…」と。確かに演奏する曲は聞き慣れない音階で作られたものが多く 演奏側も聞き手側も多少なりともお箏に関わっている方が多いとなると「気軽に…」とはいきません。
ちょっと視点を変えてみませんか。バッハの「シャコンヌ」を1回聴いてその虜になるとは限りません。でも何か不可思議なものが心に入りこむと「この摩訶不思議な気持ちは,なに?」と思い,自分の奥に深く眠る感性の扉を開けようとします。俗に言う〔ハマッタ〕状態です。「六段」も同じかと思います。
箏曲で「古曲」といわれるものは その特性から口ずさめるような曲は少ないのですが 先日演奏しました現代曲「篝火」のように1回聴いただけで心が揺さぶられる曲も多く作曲されています。日本の風土にあった・日本人の琴線にふれる・日本人のDNAを感じさせる作品が多く創られています。それらの多くは作曲者が五線譜で創作しますので他のパ−ト(尺八・十七絃)をフル−トなどの洋楽器で演奏が可能です。そしてお箏と相性がいいのです。
邦楽は もちろん「音楽」です。演奏側も聞き手側も一緒に「音」を「楽しむ」ものと思います。お箏の音の可能性を追求・模索しながらお箏と溶け合った演奏ができればと日々悪戦苦闘しています。ですから私にとって「お箏は おすましして奏するもの?」ではないのです。お箏に携わっているひとりとして「生の素敵な箏の音」を聴いていただきたく演奏の場を求めています。またその機会を多く創っていきたいと思っています。
・参詣:円覚寺
・移動:徒歩で建長寺へ 同寺境内を通って山道へ
・散策:半僧坊まで登り昼食、午後鎌倉アルプスを約2時間散策
・鎌倉駅前「和民」で懇親会
■第42回「坐禅体験の会」の報告
昨今、とみに関心の高まっている坐禅について、ご縁をたどって岩佐師にお願いをしたところ、「これも仏縁です。大歓迎です」と快諾していただきました。達磨大師の面壁九年の故事から数えて千余年もの間続いてきた坐禅を、禅寺でわれら凡夫も実際に体験することが出来ました。
・講 師:臨済宗建長寺派金谷山満福寺住職 岩佐是正氏
・日 時:10月24日(日)10:30−14:00
・会 場:満福寺( 国分寺市戸倉4−34−3)
・当日の次第:
(一) 講話「坐禅の作法」:岩佐師
(二) 読経「般若心経」 :参加者全員
(三) 坐禅:全員
(四) 昼食:精進料理で、師を囲んで懇親
『坐禅体験の会』に参加して
吉澤七重さん(賛助会員・アドバイザー第18期)
前日の新潟県中越地震。私はこんな事をしていて良いのだろうかと小千谷市の安否情報に怯えながら武蔵野線で西国分寺〜乗換ミス。国立から国分寺駅へ。西武国分寺駅乗車の白い杖の紳士が同じ恋ヶ窪で下車。出口改札までお手伝いが出来嬉しくなった。
満福寺入口にホッとする柔らかなタッチの墨絵。海老蔵似の岩佐是正ご住職さま。『半分折りの座布団にお尻すこしのせ太ももの上に素足をのせる。指を揃え左手を右手の上にのせ左右親指をつける。背筋を伸ばし顎をひき顔は水平に視線だけを1m位の所に近づけ見つめる。』
息をふぅ〜っと…。ひぃとぉぉ〜つぅぅ…(息がもたず止めて待ってもそれ以上長かった)体験『坐禅』を叶えられる第2日曜朝6時〜自分は初めの煌きでなく滅びるまで全うできるのかどうかを考えていた。大好きな森の木になれるならと思いながら…。心身がぽかぽかと暖まる坐禅体験が叶えられたのは金田様中川様のご尽力のおかげです。心から感謝をいたします。ほんとうにありがとうございました。
細田利三郎さん(DAA会員)
この度、ふれあい充電講演会が企画した座禅体験の会に初参加させていただきました。講師の満福寺住職、岩佐是政先生のご指導を受け、座禅の作法から座禅そのものを経験し、今まで簡単に考えていた座禅というものに対し、誠に格式が高く、奥行きも深いものと感心・感激いたしました。
座禅会場は満福寺本堂で、祭壇が飾られたそこに入るに際しては、住職から幾つかの注意を受けました。即ち、靴下は脱ぐ、本堂は鍛錬の場、私語はNO、厳粛な面もちで座ることなどです。窓側に一列に並べられた座布団に座り、最初に参加者全員で「般若心経」を斉唱しました。次いで、住職から座禅の作法についての講義があり、その後実習を致しました。
作法では、座るのも俗に言うあぐらをかけばいいというのとは大間違いで、両手の位置決めに始まり、両足のつま先は反対側の足の腿に乗るように、ぱっちりと目を開け、目線は床上1メートルを凝視する、息継ぎはひとおつ、ふたあつと数えるようにゆっくり吐く、臍下三寸に力を入れる、あごを引いて背筋を延ばす、余計な力は入れないなど、誠に細かいご指導で、模範の形を住職先生と研修中のお二方が見せてくれました。座禅を始めてからの途中、警策(4尺余の扁平な長方形の板 惰気、睡気を覚まさせるための鞭 冬は樫の板・夏は檜板)をお願いした人に対して、住職が鞭を与えました。私も打って貰おうと考えましたが、男性と女性ではびしばしという警策の音が異なるように聞こえましたので遠慮いたしました。
30分ほどの座禅体験を終えた後、私は次のような感想を持ちました。最初はなかなか無念無想とはいかなかった、しばらく無心になって座禅を組んでいると、雑念は追い払われる、心が洗われる思いがする、これが座禅の極致なのか、などのプラス面です。反対に、終盤に身体がぐらつき正常な形を維持することが辛かったこと、腰が痛くなり早く終わってくれの思いがあったこと、などの気分も交錯いたしました。
初体験で得たことは、無念無想の精神で座禅を組むと、ストレス解消ひいては健康維持に大変役立つ、ということです。今まで、雑念を払うためには、何も考えないで庭の草むしりをすることが一番だと考えて、そのように実践して参りましたが、座禅は草むしりに通じるものがある、と感じました。聖路加の日野原先生は、健康維持のための息継ぎの仕方を語っておられますが、座禅のそれと似かよっている、との思いもありました。
昨今、とみに関心の高まっている座禅について、この体験をさせていただいた発案者の金田さん・中川さんに感謝を申し上げ、機会があれば再度の鍛錬をしたいと念願いたしております。
福原民夫さん(千葉県八千代市在住)
このたび、満福寺の座禅会に参加し、有意義な体験をさせていただきました。私は、今年の5月に鎌倉の「某寺」の座禅会に約20名のグループの一員として参加しましたが、そのときの修行僧の座禅に関する指導方法と対応に疑問を感じ、座禅に対する興味を失っておりました。
「某寺」の座禅会終了後、グループの幹事が僧侶に食事をしながらの懇談をお願いしたところ、お坊さんは「私の指導を聞かない不真面目な人が居ました。非常に不愉快なので退席します」と言って直ちに引き上げてしまいました。参加者はわけが分からず、唖然とする状況でした。
幹事が僧を追いかけ、理由を聞きましたところ、足を組まずに片足を前に投げ出している人が居たというのです。あとで分かったのですが、この方は70代の男性で、正座も、胡坐も出来ない人でした。ところが、この僧は真面目に座禅を行っていないと受け取り立腹したことが分かりました。私が疑問に思ったのは、この僧が、足が不自由で足を組めない人も参加していることを理解していないこと。さらに、足を投げ出している人にその理由を聞かないで不真面目だと決め付けたことです。
「某寺」では、足を組めない人のための「椅子」を用意しておりませんでした。これに対して、「満福寺」の岩佐御住職は、椅子を準備して下さり、座禅会の開始前に椅子使用の希望を聞いてくれました。足を組めない人を排除せず、希望者なら誰でも座禅会に参加してもらうという、形式にとらわれない「満福寺」御住職の姿勢に敬服いたしました。
今回、座禅の組み方の指導を受け、背筋を伸ばし、あごを引いて、眼を下方に向け半眼となる姿勢をとりましたが、半眼となると直に眠くなり、睡魔との闘いに大苦戦しました。この時に、「きょうさく」という棒で肩を叩いてもらい目が覚めました。この棒の効果は絶大でした。今日の座禅会で学んだ呼吸法を日常実行し、心の変化を感じてみたいと思います。
最後に個人的な要望です。座禅の前に「般若心経」の読経を行いましたが、「般若心経」について、簡単な解説をお聞きしたいと思いました。修行をされている立場から、「般若心経」についてお話をしていただき、第二部として「般若湯」で懇親会が出来ればと思います。
■第41回(9月13日)「今、世界は・・・」の報告
今回は、日本の情報の中枢に居られる江口義孝氏に登壇していただいて、我が国に大きな影響を及ぼす国際問題について講演をして頂きました。マスコミの表面を撫でているだけではわからないお話が随所に出てきました。
・講演の内容
アメリカ大統領選挙の帰趨と世界への影響
・講師:NHK報道局国際部長 江口義孝氏
ペルー大使館突入事件の報道を担当、フジモリ前大統領との人脈を活かした的確なレポートで注目された
現在、NHK報道局国際部長の要職にあって、文字通り世界中からの情報の要役
同期に手嶋ワシントン支局長
・日時:9月13日(月)PM6:00〜7:40
終了後自由参加の懇親会を行いました
・場所:しごとセンター東京(旧シニアワーク東京)5F
■第40回(8月20日)の報告
暑気払いと 「日本未来科学館」・「TEPIAデジタル・プラザ」見学夕べ
・日時:8月20日(金) 2時半-7時
・会場:「日本未来科学館」・「TEPIAデジタル・プラザ」・レストラン「ラ・メール」
台風の影響からのフェーン現象で猛暑のさなか、16名の方に参加いただきました。2時35分から「日本科学未来館」の見学を始めました。エスカレータで7階へ上がり、そこで自由行動に移りました。集合時間の4時15分までの1時間40分、間が持てるのかなー?との心配をよそに、皆さんばらばらに散っていきました。
5階は地球環境とフロンティアがテーマで、スーパーカミオカンデ、ロケット、宇宙空間での住居、宇宙めだかの子孫だのを見ることが出来、地球の深海を探る深海艇、深海の生物等にも興味をそそられます。同じ階で生命の科学と人間のテーマでゲノムや脳のコーナーがあります。どこでもボランティアの方が大勢いて質問をすると丁寧に答えてくれます。
3階は情報科学技術と社会がテーマでインターネット物理モデルがネットワークのしくみを教えてくれます。同じ階の技術革新と未来のテーマでは超伝導、ロボット、ナノテクノロジーのコーナーがあります。
1階に下りますと、お土産コーナーがあり、万華鏡や宇宙ゴマなど、ユニークなものがありました。
次にTEPIAに移動し、セミナースペース、視覚障害者向けブースを見学、体験コーナーでユビツキイという点字によるパソコンへの入力機器などを体験しました。
最後に、暑気払いをTEPIAの隣の「ラ・メール」で行いました。ビールのぬるいのには閉口しましたが、氷を入れることで危機を脱し、料理の方は皆さん、喜んでいただいたようでほっとしました。途中でお客さんが1人みえました。視覚障害者のブースで日本語を英訳していた外国の方の話を聴いたのですが、その方が店に顔を出したところを迎え入れて、しばし懇談しました。盛り上がった暑気払いは7時過ぎに散会しました。皆さん、お疲れ様でした。
日本科学未来館では皆さん、時間が足りなかったようでTEPIAから提供の割引券(500円→400円)の希望が多数ありました。ご希望の方は、TEPIAにありますので是非ご利用下さい。
今回は23期の滝村紘一と黒瀬豊さんが担当しましたが、何とか無事に終えることが出来ました。これはひとえに最近TEPIAを退職された黒瀬さんの力が大きかったことを申し添え感謝します。ありがとうございました。
【レポート:滝村紘一さん】
■第39回(7月21日)「美術館の楽しみ方」報告
・日時・平成16年7月21日
・場所:国際文化会館
・テーマ:美術館の楽しみ方
・講師:井出昭一氏
真夏の一夕、国際交流と庭園美で著名な六本木の国際文化会館で、東京国立博物館ボランティアの井出昭一さんの講演に聴き入りました。30人を超える参加者に対して、40余年もの間蓄積してこられた知識と体験をもとに、プロジェクターで映像を披露しながら講演していただきました。
(講演要旨)
私の展覧会との初めての出逢いは、S35年進学して上京した時。以来40余年機会を作っては内外の美術展を観賞してきました。私にとって幸運だったのは社会人になってから転勤が無く、ずっと東京勤務だった事。この間訪ねた美術館等は国内80館近く、海外は10館を超えました。映像に従ってコメントします。
美術館は美術品の集積したところです。私なりに分類すると
@ 日本美術と東洋美術全般の国立博物館など
A 日本画だけ展示の美術館
B 横山大観など個人の日本画の美術館
C 洋画、西洋絵画、彫刻の美術館
D 黒田清輝など個人の洋画の美術館
E 現代美術館
F 茶道具、日本美術、東洋美術など富豪の収集品の美術館
G 陶磁器の美術館
H 民芸品の記念館
I 日本の彫刻家の記念館
J 土門拳などの写真館
K 書、歴史資料などの展示館
L 庭園美術館等その他
M 美術館以外でそれ以上に素晴らしい所として、法隆寺、興福寺、高野山金剛峰寺
と海外のミュージアムに分けられます。
美術館に行く楽しみは、もちろん美術品の鑑賞ですが、併せて、素晴らしい建造物が多いので建物を観賞すること。またいずこも見事な庭園と名木を見ることが出来るし、館内の施設にも優れたものが多いので見逃すのは勿体ない。以上お話だけでは解かりづらいので、東博の四季の写真をご覧下さい。
展示品を楽しむだけでは勿体無いなと、最近無料の特権を活用して度々東博を訪れるシニアが増えています。心身の健康のために、新しい感動と懐かしい感激を求めて、美術館をお訪ね下さい。
井出さんのお人柄が醸し出すソフトで文化水準の高いひと時に、参加者一同感銘を深くしているうちに刻限となりました。講演の後、ライトアップされた庭園を暫時散策し、館内のレストランで講師を囲んで懇親のひと時を過ごしました。あらためて井出さんの薀蓄の深さにこもごも賛辞を表していました。同館特製のローストビーフのディナーが会費内でまかなえたのも幸せな事でした。
■5月(第37回) 「岡倉天心と横山大観を訪ねる旅」の報告
5月22日、台風の通り過ぎた一日、総勢24人新丸ビル前を後にして、茨城県の最北の地 五浦海岸に向かいました。車中、井出昭二さんの解説を拝聴、他では聞く事の出来ない 耳学問の予備知識をたっぷり仕込んだところで、バスは勿来に到着。
常磐高速勿来ICで降りて「勿来の関跡」にて一休み。
この歌碑は
小町 式部ら 来た証(あかし) 和
義家
威風堂々 関に立つ 和
八幡太郎義家に別れを告げて五浦海岸へ
太平洋を見下ろす景勝の地に「天心記念五浦美術館」が我々を待っていた。さすが県が巨費を投じて改築しただけあって、豪壮で素晴らしい外観に、一同先ず感嘆しながら館内に入った。現代日本画の曙を開いた岡倉天心と横山大観ら弟子たちの遺した作品や資料を観賞した後、特別展の箱根成川美術館所蔵の「現代日本画への誘い」の展示室へ。その数々の大作に感動をしながら時を過ごした。外に出ると海岸には台風の名残の荒波が打ち寄せて、一幅の名画の趣を呈していた。
五浦きて 日本の曙 思い馳せ
榎
天心と 大観遊びし 荒磯かな 和
昼食は、岡倉天心ゆかりの船頭料理「天心丸」で。
三代目の船長から天心先生のエピソードを聞きながら、朝釣りの海の幸に舌鼓をうった。
刺身は絶品、山盛りの天麩羅には仰天。サービスの干物の味と、三代目のハプニングの演歌のご披露が、われわれの旅に彩を副えてくれた。
舟遊び 大好きだった 覚三師 和
昼食後、徒歩で「六角堂」へ
天心の旧居は海岸の岩礁の上にあり,天心が瞑想したと伝えられる六角堂は荒波のしぶきをかぶりながら、大海を睥睨していた。
庭には「亜細亜は一」の大柱碑が遺されていた。
北鮮へ 発つ小泉へ 贈りたし 「亜細亜は一つ」天心の心 順
現代日本画の曙に思いを馳せ、岡倉天心の愛した船頭料理を楽しんで、午後3時帰路についた。途中地魚特売所で近海の幸を仕入れた(バスが少々重くなった?)後、野口雨情記念館の前を通過して北茨城ICへ。天心丸での一杯が眠気を誘う中、恒例の句作にトライしながらバスは東京へ。夕闇迫る午後6時30分、無事に新丸ビル前に到着。
【レポート:金田
和友さん】
■4月(第36回):「お謡いを始めて十年」報告
・講師 川本泰生氏 ( 観世流光華会会員 DAA会員
)
・平成16年4月19日 於飯田橋シニアワーク
・講演要旨
【動機など】仕事一図の生活から幅広い人間形成を目指し、更には来るべき退職後のアクティブエイジングのために始めて10年、全218曲の中やっと30曲を習得した。
【師匠の教え】日本の文化や言葉を大事にする事の重要性、謡いの文章の8割以上が日本語の基本である。会話としての日本語の乱れを正し、美しさを理解すること。
自分なりの8音階と徐破急を使いこなして"遠くまで聞こえて、しかも近くてもうるさくない"お謡を!
【謡曲とは】世界無形文化遺産に指定された"能楽"
(仕舞い、囃子、狂言とから構成)の一部を形成し室町時代に世阿彌が集大成したと伝えられている。 観世、金剛、金春、喜多、宝生の5流があり 曲趣には神、男、女、狂、鬼の5種がある。
私には謡曲の真髄を語る資格など無し、参考書として「隠れ里」「お能老木の花」(いずれも白洲正子著 講談社)をお奨めする。
【謡曲の面白さ、効用など】細川幽斎の「謡曲15徳」の中から紹介すると
行かずして名所を知る
軍せずして戦場を知る
習わずして歌道を知る
老いずして古事を知る
薬なくして鬱気を散ず
特に、最後の「薬なくして鬱気を散ず」を実感している。
講演に続いて、「敦盛」の一節を朗々とご披露していただいた。
日本が世界に誇る伝統文化の一端に触れ、講師の鍛えられた美声に聞き惚れて、感銘深い一刻を過ごした。
幽玄の 歴史を伝う 謡いかな 和散人
■3月(第35回):「六郷満山を歩き終えて 神仏混合の世界で思ったこと」報告
3月22日(月)にシニアワーク東京において金田和友氏(IDN理事、大分県佐伯市出身)の講演が行なわれました。昨秋大分県国東半島の天台密教の霊山「六郷満山」を歩いてきたその半月間の体験と、六郷満山前夜、神の里仏の郷、一神教と本地垂迹説等について講演されました。只管歩き続けて200キロの一人旅で得たもの、考えたことなど、現在の文明人が忘れてはならないことが 随所に覗える講演内容でした。
当日には金田和友氏が作成されたCD−ROM「豊後一人旅」の写真やMAPをプロジェクターで投影されたので、氏の足跡を絵をとおして辿る事が出来ました。
なお、金田和友氏は関東100観音巡りを終え多摩88ケ所札所巡りに挑戦中です。
■2月(第34回)平成16年2月11日(水):「江戸東京博物館見学と駒形どぜう」報告
本日は晴天なり、天気晴朗にして風も無し、の好天に恵まれた建国記念日の午後、総勢43名が両国に集合しました。中にはご夫婦連れ、ご家族3人、更に娘さんと孫3人を連れて参加された方もいらっしゃいました。午後1時40分、芳野さんほか3名のボランティアのお出迎えを受けて館内見学開始。
前半は日本橋を渡って江戸村の探訪です。国宝級の屏風絵や細密な模型を見物しながら、ボランティアの説明に聞き入りました。続いて次のフロアに降りたところで越後屋呉服店の10分の1の模型や、再現された原寸大の助六の舞台、芝居小屋(特別の配慮で中に入れてもらった)菱垣船、両国の広場などを見て回りました。江戸の最後には三社祭りの山車が聳えていました。
次は明治村です。鹿鳴館、ニコライ堂、銀座の煉瓦街など正確に縮小された建造物と人たちが我々を迎えてくれました。日本で最初のクラシックなロールスロイスには驚きました。午後3時鹿鳴館の天井が開き舞踏会が始まりました。並居るシニアたちも子供のように喜んでいました。
あっという間の1時間半でしたが、ご案内のボランティアの皆さんのお蔭で、非常に勉強になりました。「前に一度廻ったけど、説明してもらうのとそうじゃないのとでは雲泥の差だね」と感想を漏らしている方がいましたが、参加者全員同じ思いだったでしょう。芳野さんと3人のご案内役に心からお礼を申し上げたいと思います。
午後4時近く、ご都合の良い(江戸博より泥鰌を狙って参加した方もいた?)32人が席を蔵前の「駒形どぜう」に移して懇親会です。といっても只管江戸200年の下町の味と伏見の銘酒「振里袖」を堪能し、卓ごとに談笑するというひと時でした。美味しい泥鰌料理でした。美味しいお酒でした。(どのテーブルも大幅に追加料金をお支払いのようでした)
インテリジェンシーを満足させ、更に素敵な仲間達と触れ合う事の出来る一日でした。午後6時解散、殆どの方が夜風に吹かれながら観音様方向へ歩いて行きました。
(レポート:金田和友さん)
■1月(第33回):「朗読と琴の鑑賞」の報告
1月19日(月)にシニアワーク東京で、新春に相応しい琴の音にのせて吉村昭作「梅の蕾」を朗読と筝曲の演奏を楽しみました。朗読を聞く機会はあまりありませんが、東北の僻地の心温まるお話を藤絢子さんに朗読していただきました。「涙を隣の人に見られないように隠すのが大変だった」との声も聞かれました。
次に、桃井実千子さんと小野寺歌波さんによる筝曲が2曲演奏され、新春にふさわしい琴の音を堪能しました。
朗読:吉村 昭
作 「梅の蕾」
演奏:八橋検校 本手作曲 筝曲「六段・二部」
宮城道雄 作曲 二面の筝の為の「春の海」
■11月(第31回):「病気とのつき合い方(患者と病院と健康学)」報告
講師:奈良原真吉氏
(IDN理事長)」
平成15年11月25日 飯田橋シニアワークにて 参加者17名
予定した「お謡いを始めて10年」の講師川本さんが急病で倒れるというアクシデントがあり,当会初めて中止も已むなしかと、一時は観念する事態に追い込まれたが、理事長の「代役を立てて続けよう、この講演会は灯灯無尽で行きたい」と言う決断で、しかも自ら代役を申し出られ、折からあいにくの雨天にも拘らず参加された17人の方たちにも支えられて実現した。当会の語り草として長く残る出来事の一つとなった。
(講演要旨)
病気との付き合い方も芸術なり
病気には、地震のように予兆がある。病気のシグナルに対する感性を磨け
健康自慢の人は、病気に臆病で医者を避けている
病気になったら強がりをしないで、潔く病人になり、体力を温存して病と闘うべし
医者と弁護士は自分で使え(和敬塾創始者の言)
まないたの鯉になってはならぬ
病気は医者が治すのではない、細胞が病と闘い、自分の生命力が治すのだ
医者と協同戦線を張れ、言えばインフォームドコンセントを今は克明に教えてくれる
医療事故はは日常茶飯事(交通事故と同じく)と心得て注意力をめぐらせ
医者と誠実に接しながら友人になれ
自分なりの究極の健康法を持て、人まねは通用しない
「中学時代、肺結核に冒され6年間の闘病生活を経験したこと更に近年、憩室炎という病に罹り9回入院したこと 」 等の体験に基づく、いわば健康談を、具体例をまじえながら語っていただいた。途中、ご友人の山崎さんがご自身の心筋梗塞体験談を披露していただく等、参加者と交歓しながらの講演だった。
恒例の懇親会では、講師の周りには自然と下関時代の友人が集まり、期せずしてミニ同窓会のようなほほえましいひとコマが出現した。
この日の講演を参考にして、いつまでも健康でね、と語り合いながら散会した。
(レポート:金田和友さん
■10月(第30回):日本を考える―市谷駐屯地見学会―報告
快晴の10月20日、市谷の防衛庁の正門に40余人が集合しました。前もって提出してある名簿と各自の身分証明書のチェックを受けて、やや厳粛な面持ちで構内に入りました。そこには、写真で見た戦前の光景とはまったく違う近代建築群が我らを迎えました。ここがわが国の防衛の中枢なのだと思いつつ感慨深く歩を運びました。
スタッフの説明を聞きながら進むと、眼前に見覚えのあるテラス付きの玄関が現れました。三島由紀夫事件のあの舞台です。彼が日本の現状を憂い、未来に警告を発し、自刃したところです。
この建物が、昭和史を後世に伝える「市ケ谷記念館」です。襟を正すような気持ちで入館、中には極東軍事法廷になった大講堂が往時のまま保存されていました。かって護国の先頭に立つべく進学した若人たちの陸軍士官学校の入学式が、天皇臨席のもとに、ここで行われたのです。またA級戦犯の判決も、ここで言い渡されたのです。急展開した昭和史の二面を想いながら、暫し言葉もなく過ごしました。続いて二階に上がり、かっての陸軍大臣室と便殿の間(陛下の控えの間)を見学し、記念館を後にしました。
次は、厚生棟の記録室に案内されて、現状の勉強です。展示室の陳列品の見学とビデオによる解説で、日本の防衛について知識を深めました。終わりにこの日の安藤世話役から分厚いお土産(宿題であると共に貴重な資料)が手渡されました。
約2時間の見学を終え、門を後にしました。
思うことは、一人一人違うとしても、。平和とは? 有事の備えは? 今の若者は、そして日本は?
さらに教育は、政治は?
と考えることの誠に多いひと日だったろうと思いつつ、懇親会の会場へと向かいました。
最後に、貴重な体験のお世話をしてくださった安藤博さんに深沈の感謝の意を表してペンを置きます。
(レポート 金田和友さん)
■9月(第29回)の報告:井出昭一さん:東京国立博物館見学会を終えて
9月13日に開催された第29回ふれあい充電講演会としての東京国立博物館見学会は、私にとっては『やきものを愉しむ…酒を呑む器「ぐい呑み」…』(平成13年11月19日)、『陶芸のふるさと「益子」探訪』(平成15年5月18日)に次いで、3回目の"登場"となりました。
9月の中旬とはいえ、真夏のような猛暑にもかかわらず、予想を上回る46名もの皆様のご参加をいただき、全員の方々にきめ細かいガイドができなかったかと思い悩んでいましたが、見学後の懇親会の関で参加者の皆様にご感想を伺いますと、満足された方が多い様子で胸を撫で降ろした次第です。
さて、"東博"と呼ばれている東京国立博物館の魅力は3点に集約できるでしょう。
第1は、言うまでもなくその収蔵品の量と質です。東博の収蔵品は10万件を超えていますが、展示できるのはスペースの関係で約3千件だそうです。当日見学したのは、本館の2階の"日本美術の流れ"と法隆寺宝物館で、展示スペースとして東博全体の3分の1。したがって、極めてラフな計算では約1千件を見学したのみで、10万件の収蔵品に対してわずか100分の1に過ぎないのです。ご案内できなかった3分の2のスペースは、(特別展を除いて)本館1階、東洋館、平成館の考古展示室です。これらは、皆様の今後の楽しみとして残しておいたというわけです。
東博の第2の魅力は、有名建築家の設計した建物群です。最初にご案内した本館は、渡辺仁の設計になる帝冠様式の代表的建築で重要文化財に指定されています。次に見学した法隆寺宝物館は,法隆寺献納宝物300件を保存し展示するという相反する要因を満たした東博の中では最も新しい機能と設備を有する建物で谷口吉生の設計です。(参考までに、東洋館は、吉生の父、谷口吉郎の設計です。)
また表慶館は、ネオバロック様式の明治末期の代表的建築で、赤坂の迎賓館、京都国立博物館、奈良国立博物館を設計した片山東熊の作品です。当日は表慶館の中に入れなかったとはいえ、外から壮麗な姿を眺めるだけでも充分過ぎる建物で、本館同様、重要文化財されています。内部をご覧になりたい方は、表慶館を会場として開催される特別展「煌きのダイヤモンド…ヨーロッパの宝飾400年…」(10/7〜12/21)を見学してください。約1年ぶりで表慶館が開かれますので、絶好の内部を見学できる絶好の機会ですから。
こうした明治以降の代表的西洋建築と趣きを異にする和風建物が、本館の北側の庭園内にあります。すなわち、九条館、応挙館、ろくそうあん六窓庵、てんごうあん転合庵、しゅんそうろ春草廬とそれぞれ由緒ある5棟の茶室が点在しています。現在、庭園は非公開ですが、この秋10月28日から11月24日までの期間は公開されます。ご興味ある方は、この期間にどうぞご来館ください。
更に東博の第3の魅力は、名木が数多く、四季を通じて折々の花が楽しめることです。本館前の樹齢150年、高さ33mの巨木「ユリノキ」(別名:チューリップツリー、ハンテンボク)は、東博のシンボルツリーといわれ、来館者に安らぎの場を提供しています。この他、館内には桜が13種、椿に至っては23種があるといわれています。春は新緑と桜、夏はユリノキ、秋は酔芙蓉、萩、イチョウの紅葉、冬は椿の数々。いつ訪れても美しい花が咲き、いつ来てみても新鮮な感動を得られる場所が"東博"なのです。
このように東博は、極めて奥深くて幅広いところです。取り組むに不足ない相手です。今回の世話役を務められた金田さんと中川さんが下見に来られたときは、風景版画の不朽の名作といわれる葛飾北斎の「富嶽三十六景」、法隆寺宝物館では、まとまって伝世した仮面としては世界にも類例がないといわれる伎楽面31面が展示中でしたが(春夏秋年3回、各1ヶ月のみ公開)、当日は残念ながら展示室が閉鎖され見ることができませんでした。しかし、落胆は不要です。
それに代わる仏画の最高傑作といわれる国宝「孔雀明王像」、安藤広重の「江戸名所」、岸田劉生の重文「麗子像」を拝見することができたのです。ところが、現在ではこの"麗子嬢"も蔵入り娘となってしまいました。
これに替わり、日本の水墨画史上最高傑作といわれ、日本人に最も人気のある長谷川等伯の国宝「松林図屏風」が展示中(9/23〜11/3)です。こうして、東博では、展示替えが頻繁に行われますが、話題を呼ぶような名品が常に何件も展示されています
今回の見学会を契機として、東博のご理解を深めていただき、リピーターとして、ご家族、ご友人を伴って再び来館されるならば、ガイドをしたひとりとして望外の喜びであります。(2003.10.3)
■8月(第28回)の報告:「江戸囃子と納涼の夕べ」 出演 成宗囃子保存会
・日時:8月3日 5時半―8時
・会場:賀神社 杉並区成田東5丁目29番地
演奏者と徴集合わせて約60人が神社の境内に集まり、伝統郷土芸能の「成宗囃子」を聴きながら一夕を過ごしました。
『 口上 』
千代田のお城を西に離れること四里と半,豊多摩の地成宗村に『須賀神社』と申す小社あり。
今を去る百数十年前、村人、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、健康長寿を祈願して、祭神須佐男命に祭囃子を奉納せりと言う。人々伝えて今も尚、鎮守の杜に成宗囃子は響くなり。
先祖の遺した郷土芸能を受け継いで、懸命に演奏している子供達に盛大な拍手が送られました。「擬き(もどき)の目出鯛」に「獅子舞の門付け」も楽しく、最後の保存会会長の太鼓はまさに至芸に近く一同聴き入っていました。そして子供の頃の村祭りを彷彿とさせるような雰囲気の中で、ことのほか美味しいヒールにお話も弾み、アッという間に時が過ぎました。
成宗囃子保存会の皆さん有難う! 子供達を育てることの大切さを今ほど実感する時代は無いと思います。これからも育て伝え続けてください。
解説「五人囃子の由来」
もともとこの囃子は、府中市の大国魂神社(武蔵一ノ宮、奈良時代の国府の総鎮守)のときに奉納されたもので、船橋流及び目黒流の二流に分かれて伝承されてきた。船橋流は現世田谷区の千歳船橋の地を源として江戸の各所に伝承されてきたものといわれています。
お囃子の曲目は、「屋台」「鎌倉」「国堅(くにがため)」「師調目(しちょうめ)」「印播(にんば)」の5曲から編成されていますが、そのそれぞれに踊りがつき賑やかさを一層盛り上げています。
(府中市立郷土の森博物館蔵伝文より)
(レポートと写真:金田さん)
■7月(第27回)の報告:『平家物語』を聴く夕べ
平成15年7月14日(月) シニアワーク東京 参加者 49名
薩摩琵琶の名手、古澤錦城、錦志ご兄弟(文部大臣賞受賞者)をお呼びして、平家物語の中の『敦盛』と『壇ノ浦の戦い』を観賞しました。梅雨最中、古楽器の音と語りに聞き酔れた一夕の模様をお伝えします。
◆司会の挨拶から
日本人の多くはドレミの音階による洋楽が音楽と思っているが、雅楽や謡など日本古来の音楽はこれとは違う民族固有の音階で成り立っている。波打ち際で本を読んでいると、いつしか波の音が聞こえなくなるように、古楽器の音には聴き入るほどに眠ってしまうような心地よさがある。その響きに先祖の心が偲ばれる。 日本に伝わる素晴らしい文化、これを伝え続けていくことが、病める社会を直していく一助になるのではないだろうか? 先祖の想いに心を馳せながら観賞したい。
◆古澤師からのメッセージ
哀切で荘厳な七五調ではじまる『平家物語』。今宵は皆様を、しばし源平の絵巻物の世界にお誘い致します。
今甦る「平家物語の」世界
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を現わす
古代インドの舎衛国にて、スダッタという大富豪が建立して、お釈迦様に寄進したと言う大寺院『祇園精舎』。その西北の角、日の沈むところに「無常堂」という建物があった。そこでは、修行をしていた僧が病気になると、すすんでその中に入り静かに身を横たえ、死を迎える。
『諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為楽』という偈を自然に響かせる。
この鐘の音を聴く病床の僧は苦悩がただちに消え安らかに浄土に往生するという。
演奏は、錦志師の"祇園精舎の鐘の音・・・"に始まる「敦盛」と、錦城師の演ずる、平家物語のクライマックス「壇ノ浦の戦い」の二部に分けて約一時間、聴き入り、聞き惚れているうちに終わりました。
◆参加された方々のご感想から
・古来からの物は素晴らしい。雅な語りにうっとり聴き入り古えを思った。
・日本伝統文化の素晴らしさ、奥深さに触れた。是非語り続けてください。
・
間近で聞き、その迫力に感動した。
・
人生を振りかえながら聞いた。心に沁みる思いだった。
・病める社会と重ねつつ聞いた。日本古来のものをもっと伝えることが大切だと思った。
・画像が主役の情報社会は病んでいる。人の心に訴える文化を大切にしたい。
・「琴線に触れる」を目の当たりにした。線にかすかに触れても玄妙な音が出るんですね日本語がかくも美しい言語かと、再認識しつつ聴き入った。
・
本で読む平家物語と大違い、本物はすごい。
・ 詩吟のイメージと重ねながら、その語りと音色に聞き惚れた。
・
静と動の演奏を聞きながら、故郷下関の光景を思い浮かべました。
・ 薩摩琵琶が好きになった。
・
是非リピートを。『ミミなし芳一』が聞きたい。
・
このような良い機会に巡り合えて、貴重な体験をし、感謝しています。
参加された皆さんのご感想から、この稀有で素的だった一夕をご想像下さい。レポーターとして蛇足は控えさせていただきます。
◆懇親会
演奏会に続き、席を改めて懇親会に移り、一時間という恨めしくなるような短い時間でしたが,講師を中心に歓談しました。大変盛り上がった証左に、懇親会は赤字になりました。
演奏して頂いたご兄弟、古澤両師に心から御礼を申し上げます。
琵琶奏で 歴史伝える ご兄弟 和
(レポート 金田和友さん)
■6月(第26回)の報告:金田和友氏(当会理事)による「無季俳句と詩書画の教室」
・日時:6月16日(月) PM6:00〜8:30
・会場:豊島区立勤労福祉会館6階会議室
・参加者:25名(会員8名・一般17名)
<講師の金田さんの声>
昨日は皆さんのお力添えで弊講演を完うすることができました。
自分史に新たな一ページを刻む積もりで務めさせていただきました。
親しい友たちとの再会もでき、大変幸せな一夕でした。
このようなステージを与えて下さったIDNと皆さんに心から御礼を申し上げます。
■5月(第25回)の報告::バス旅行
日時:5月14日(水) 箱根・千石原・ポーラ美術館見学 と塔ノ沢「ひめしゃらの湯」入浴会
好天に恵まれた初夏の一日、31人の紳士淑女参加のもとに催された"ポーラ美術館とひめしゃらの湯をたずねる"バスツアーのご報告を、参加者の紀行句を交えながら記します。
午前8時 新マルビル前に集合
定刻5分前に31人全員が集合完了、長年の数多の団体旅行でこんな事は初めてだと
幹事連中は感じ入った次第。担当運転手の窪田さんも「うん」と同意見でした。
定刻出発 霞ヶ関ICより首都高経由東名高速へ
本日は 晴天なりと 古希の翁 和
画をたずね 緑を求め 箱根路へ
奈良原理事長のご挨拶と幹事の旅程説明が終わると、バスは早くも海老名SAへ
休憩後、木下工学博士より「ポーラ美術館のすばらしさ」について説明を受け、これから訪ねる美の館への期待が一段とたかまりました。博士の手作りのパンフの素晴らしかったことにも一同感嘆の声を上げているうちに、御殿場ICに到着。これよりバスは乙女峠を経て仙石原へと
箱根路の 新緑の中 佳き出会い
宮仕え辞め 後ろ髪ひく バス旅行
山は皆 みどり緑の 箱根路よ
美術館到着まで後30分、同館提供のビデオを放映、さらに予備知識を入れているうちに、予定時刻の10時に目的地到着。(箱根って近いわね と誰かの言)
いよいよ"ポーラの館"へ
木漏れ日の中 忽然と 美術館
(首席 森侑子さんの作)
ガラス城 緑の光 青の海
新緑に ポーラ美術館 埋もれをり
箱根路の 自然に調和 ポーラの美
ひめ沙羅てふ木 初めて知りぬ 花はまだ
ひめしゃらの 緑に映ゆる 美の館
館内に入り約1時間半、鈴木コレクションを鑑賞、大変な名品の数々に圧倒され酔い心地、夢心地のひとときを過ごしました。
薫風に ポーラの館に 青の粋
仙石原に 沈むひめしゃらの 美術館 ルノアールの絵 光の満
世紀経て 箱根で出会う 泰西画 (首席 森侑子さんの作)
モネピカソ 平山杉山 箱根山
新緑に ピカソも遊ぶや ガラス館 (二席 新名昭土さんの作)
誰(た)がのみし ガレの杯 ここにあり
館を出て思わす゛ためいきをついている人もいました。
箱根風 ポーラが薫る 高嶺の華
箱根越え 我もなりたや ポーラの会長
化粧品 名画に化けて 世に贈る
(特別賞 三谷勇輔さんの作)
高い文化の香りを身辺に漂わせながら、次は庶民の憩いの場「ひめしゃらの湯」へと。途中、箱根駅伝で有名な宮下を通過、羊腸の小径を一気に下り、バスは湯本の公営駐車場に到着。此処でお出迎えのマイクロバスに乗り換え目的地へ。時計は12時半をまわり、ご馳走とビールが待ち遠しいと、あちこちで囁きが、、、、、、、。
関所〔入り口〕で温泉組,ベコニア園組、オルゴール館組に分かれて、それそれ小一時間を楽しみました。
いい湯だな ここは天下の 箱根の湯
和
天下の嶮 越えし侍 湯に遊ぶ (三席 浜崎弥寿子さんの作)
シャガールも 薫風も宙(うか)ぶ ひめしゃらの湯
ひめしゃらの 野天の風呂に 菖蒲浮く
露天風呂 迷える落ち葉に 亡友(とも)偲ぶ
これもかと いろとりどりの ベコニアの花
でっかいでっかいベコニア 赤黄色 和
ベコニアの 色とりどりに 驚かされ
ひめしゃらの 湯に入らずに 銭洗い弁天
それぞれにひと時をすごした後お待ちかねの会席料理の昼食です。
湯上りに ビールをきゅっと わが世界
この一杯 わが生きがいと 上機嫌
和
昼食は いと胃に優しい 竹の膳 和
歓談しばしの後、午後3時、箱根を後にして帰路につきました。
帰路の車中、IDN小坂氏のご好意の飲み物で咽喉を潤しながら、和散人宗匠のリードのもと恒例の無季俳句の句会を催しました。名句,迷句が沢山でき、表彰式が賑やかにとり進むうちに早やバスは都心に到着。"東京は近いね"の声。
輝ける IDNの 男たち
という句も頂戴し、無季俳句の会は終了となりました。(作品は文中にご紹介)
午後4時半、予定より早く丸の内に到着、お互いの労をねぎらい、名残を惜しみつつ解散しました。
(レポート:金田和友さん)
■第23回:4月21日(月) 「箱根で最も新しい美術館 ポーラ美術館の魅力を語る」の報告
講師:平岡由紀夫氏(キルトプランニング常務)
5/14の箱根バスツアーの前宣伝として開催しました。講師は、潟Lルトプランニングオフィスの常務、平岡由紀夫さん。同社は上野の国立博物館の法隆寺館の照明設備で高い評価を受け、今では、ニューヨークやパリでも、美術館や展示会の照明をコーディネイトしています。設立してまだ10年の新進気鋭の会社です。
平岡さんは、ビデオによる美術館の紹介(15分)の後、光ファイバー照明とはどんなものなのか、ファイバー照明の実物サンプルを使って教えてくれました。彼が、営業活動の中で考えた、独特の販売ツールです。そのあと、美術館の照明の難しさについて、絵画、彫刻、陶磁器など、展示品別に説明してくださいました。この説明は、非常に専門的な内容であるにもかかわらず、大変判りやすかった。参加した方のアンケートでも、多くの人が「分かりやすい説明だった」と書いておられます。今度訪問するポーラ美術館が、建物の設計のはじめから、照明のやりかたについて深く考えられたことも、平岡さんのお話からよく判りました。
ビジネスの最前線にいる人がふれあい充電講演会で話してくれたのは初めてかもしれません。迫力があり、わかりやすく、それでいて自慢話にはならず、どこか、仕事を楽しんでいる雰囲気が感じられて、さわやかな印象もありました。平岡さんと私はかつて同じ会社で苦楽を共にした間柄ですが、活き活きとした語り方は、「だいぶ
成長したなあ!」という感じでした。
参加者16名、アルコール抜きの、コーヒーとサンドイッチの懇談会は、話が弾みました。(このごろの着席式の懇談会の方がゆったりと、しっかりと話が出来て、また、私語が少なく、話を皆で聞けて、以前の立食式のやり方よりも、やり方としてはいいのかな)
平岡さんは、この日朝早く新幹線で大阪まで行き、私たちの講演会のためにとんぼ返りで戻ってこられました。ほんとにご苦労様でした、有難うございました。
(レポート:林 佳次郎さん)
■第23回:3月17日(月) パネルディスカッション「自分さがしの旅―4年目に入ったIDNと私―」報告
IDN4年目幕明けのイベントして、3人のパネラーによる"鼎談"と全員参加の放談会を開催しました。短かい時間内で、三人のパネラーと20余人の参加者全員に充分語っていただくことは難事の極みでしたが、病癒えて間もない私、金田和友の名(迷)司会の下、中身の濃い、成果の多いひと時を過ごせたと確信します。
3人のパネラーは、奈良原理事長(古希過ぎて尚青春の気概の人)、賛助会員の安藤さん(護国に半生を捧げ、いま"まほろば"の行く末を憂れうる人)、運営委員の林さん(永年の蓄積を世に披瀝し、今輝いている"蔵輝"の人)――この三人三様の面々が、それそれの「今」と「IDNのこれから」について、思いを込めて語っていただきました。
*第二の人生の目的は、「人生を統合すること」 これまでの脈絡のない経験を整然と意味のあるものに統合すること
*
人の可能性を開花させる場が欲しい
* 社会が悪くて自分ひとりが幸せになれるか
* 「国の心の再生」を
*
まだ自分には"10000日"ある。自分にとって自己完成とは?
*
自らを高めないと高位の人に出逢えない
*国家中心から企業中心、そして今や"自分自身が主役"という時代
*社会をリードすべき人のモラルが悪くなっている。我々は非力だが後から来る人々に訴えたいことを声に出して伝えることによって、社会に働きかけたい。
IDNのこれからについての3人の提言は、一人一人の主張の違いがあって、無理してまとめることは必要ないと思われるが、
*仲良しクラブでは駄目。喧々囂々(けんけんごうごう)侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論のできるグループに
*自分と周囲の人が共に心豊かに有意義な人生を送るために活動する場であるべし
*
「国の心の再生」に資する議論と催しのできるIDNを目指す
さらに、財政基盤の強化、会員の増加、女性の参加促進など具体的な提言もあったが3人とも、持ち時間終了となったのは残念であった。
ここから後半の部となり、コーヒーとサンドイッチが出て全員参加の発言会となった。
*
男は理念に偏するきらいあり、具体的な役立ちのできる場に
*
女性部を作ろう、デジカメのサークル作りも
*目線を同じにすることのできる、素晴らしい人と触れ合えるステージ故ずっと大事にしてゆきたい
*何でもやれる、面白い人が多いグループだから、これからも何でも発表できる場として発展させたい
*IDNに何を求めてくるのか、一人づつ語ると良い。私は生きていくのに資するもの(人のつながり)を得たいと思ってきている。各人が本音を言ってみたらどうか。
*IDNはシニアの啓発の団体としたらどうか?(この意見には疑問の声、二三あり)
*大上段に構えることなく、他にはない"語らいの場"を発展させて行くので佳
*人は3年経って「いまだし」・・というかも知れないが、基礎ができた今、いよいよこれからだという認識で頑張ろう
8時半閉会のあと、駅前の「和民」で2次会となり、多くの方が参加され、こもごも大いに話している内に11時を廻ってしまいました。大半の方が午前様となった次第です。4年目の入った記念イベントと言うべき、今回のパネルディスカッションは、非常に活発で、中身が濃く、とてもこの紙数では語れない、すばらしい集いでした。
パネラーはじめ皆々様、良いひと時を有難うございました。またやりましょう!
(レポート:ふれあい充電講演会担当 金田和友さん)
■第22回:2月17日(月)
慈道順一さん(IDN会員)による「1250年前の品質管理」報告
毎月、毎月、ふれあい充電講演会を開催して22回になります。2月は建築関係のテーマです。これが不思議です、なぜなら、去年も2月は「鉋の話」でした!特にたくらんだわけではなく、偶然なのです。実に面白い。こう思うのは私一人かな?このふれあい充電講演会では、時にしばしば、建築の話題を取り上げています。建築の世界で一生を貫いた人が何人も会員として活躍しているからです。
今回は奈良の東大寺、大仏殿の話です。あのような大きな仏像をどのようにして建造したのか、その上、その大仏をすっぽりと覆う、実に巨大な建造物、すなわち大仏殿がどのようにしてつく造られたのか?慈道さんは何十年もこのテーマに取り組んでこられました。奈良にも何回も行っておられる、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)を使っての解説は、よどみなく進みます、慈道さん自身、この語りを十分に楽しまれたように見受けました。
1250年前に、多くの外国人、それも、中国人や朝鮮人だけでなく、カンボジヤとかマレーシアからも優秀な人が来てこの仕事を指導してくれた、と聞いて、非常に感慨深かったです。アメリカとイラクの争いとか、北朝鮮が日本人を拉致して何十年も返さないなどと、今の人類が如何に退廃していることか、思わずにいられません。
そして、1250年前の我が国の人々への深い尊敬と感謝が胸いっぱいに広がる、みんなで奈良に行きたいなあ――
この日は、慈道さんの職場のかつての先輩方も何人も来てくださり、手厳しい質問が矢のように慈道さんに出されましたが、慈道さんは判らぬことはわからぬと実に真摯に答えておられました。その先輩後輩のやり取りも、そばで聞いていて楽しいものでした。
今回は、会場の都合で缶ビールを出すことが出来ず、コーヒーとサンドウィッチでの懇談会でした。この形式の懇談会は、全員が着席して、質疑応答も行き届いた対話になりました。このやり方も捨てたものではない、と思いました。出席23名
(レポート:林
佳次郎さん)
■第21回(1月20日)斎藤克子さんによる「輝いてこそ人生」の報告
日本の社会では、女性は、結婚する時「嫁ぐ」という大きなイベントがある。嫁ぎ先がどんな「家」であるかによって、女性の人生は大きく左右される。この時、男性は「嫁を貰う」という立場である。
斎藤さんのお話は、21歳で最愛のお父上を亡くされたときから、孤独な助走が始まる。「女性は、25歳までに結婚するものよ」という慣習にしたがって、結婚する。そらから、姑を中心とする「家風」との適応過程が始まる。そして、女性にとって最大のイベントは「出産」である。二人のお嬢さんを産み、子育ての十年は、斎藤さんにとって「沈黙の十年」であった。物言わぬ十年の過程で、その後の活躍のエネルギーが蓄積される。
斎藤さんは、大学で、教科書のないボランティアの講義を年間23回持っている。「ホスピス」や「エイズ」、「老人ホーム」や「山谷に於ける生活支援」などの講義から、命の尊厳と人に尽くす生きがいを、「アフガニスタンにおける地雷除去活動」の生々しいレポートから國際社会の厳しさと平和について、学生たちは強いインパクトを感じているという。学生の感動を、斎藤さん自身も共感し、心の支えにもなっているようだ。
斎藤さんは、体の健康が精神と、頭脳の健全さを保つと信じて、ジャズダンスと、体操を21年間続けているという.その後エアロビックスや、ジョギングもはじめたお陰で、年齢との体力差の大きさでは、第1位にもなったという。今では、大学だけでなく、社会のボランティアとしても、さまざまな分野で活躍している。
「このような活躍も、余ほど旦那さんの理解と協力があるから出来るのだろう」と多くの男性たちは思うであろう。これに対して、斎藤さんは、「多くの家庭で夫が妻の許可を得ないで外出するように、自分も夫の許可を得ない」ときっぱりと言いきる。しかし、それは、決して夫を無視することではない.自分が自由に動けば動くほど、夫や子供たちを家族として、大切にしているという。
今日の斎藤さんの講演は,ひとりの女性の生活体験と人生の姿を、ありのままに話しているに過ぎないように見えるが,それでいて、多くの女性たちにも,自分のことのように考えさせる、不思議な問題提起力がある。女性ばかりではない。われわれ男性にも,女性がどんなに苦労しながら,子育てや家庭生活を支え,社会への目を開き、貢献しようとしているか、その胸のうちをとてもよく理解することができた。ウーマンリブのような強がりでない,やさしさが,私を素直な気持ちにさせたのであろう。
(レポート:奈良原理事長)
■12月16日(第20回):泉 秀樹氏の「忠臣蔵・秘話」の報告
討ち入り300周年の翌々日、我々は作家泉秀樹さんの「忠臣蔵秘話」を聞かせてもらった。40名で満席の会場に、35名の来場があり、大盛況の年の瀬のイベントになった。泉さんの話は、ずばりと本論に入った、余計な前置きがない、私は好きである。声がよく通り、言葉も明瞭で、講演のコツをよく知っている方であると直感した。
何故討ち入ったか?多くの日本人は、亡き主君の思いをとげる為、あるいは、武士の一期を立てるためとなんとなく理解したつもりになっている。映画も、大河ドラマも大体このコンセプトである。泉さんが言おうとしたことは、この通説への強烈な異論であった。即ち、討ち入りは、
『京都の朝廷が仕掛けた、幕府への、いわば「小さな謀叛の試み」といったものだったのではないか?』
という推論であった。こういわれてみると、幕府が四七士の処罰に大変な時間とエネルギーを割いた理由もよく判るような気がする。単に太平を乱す暴挙の下手人たちの処罰ではない、単に江戸の庶民への配慮でもない、この事件をどうとらえ、どのように筋を通すか、いかに幕府の正当性を貫き、朝廷の秘めたるねらいなど「へでもない」という結果を導くか、武士道は讃えるべきであって、しかも幕府の正当性は微塵も揺るがない、そのような結果を作り、このことと朝廷の思惑とは一切関係はない、ということにしてしまう為に、幕府は苦しみ悩み、時間がかかってしまった―――こう考えると、泉さんの言っていることがものすごく説得力が出てきて、聞いているうちに胸が躍った。
明治天皇は東京に遷都の途次、泉岳寺に使者を送って四十七士に宣旨(表彰状のようなもの)を送って、『朕深く嘉賞す』と書き送って金一封を添えているいる。
泉さんにこの事実を教えられ、「さもあらん!」とひざを打つ。
実は、このように理解するには時間がかかった。泉さんは、私のように初めから結論を決めつけることはせず、こう云う風に考えるに至るまでに、自分はこのような事実を知りました、という客観的な「資料に基づく事実」を何件も重層的に話して行く。私は途中で朝廷のお公家さんの名前や家名がこんがらがってしまい、泉さんが手繰り寄せようとしている「ストーリー」について行けなくなったりしていた。
ちょうどそんなタイミングで、泉さんはA4判1枚の家系図を皆に配った。これで、私は話の筋に戻ることが出来た。泉さんが配ったのはこの1枚だけであった。講演会の講師は、多くの場合、何ページものテキストを配る。そして、そのテキストと講演の内容は、しばしばずれていたり、時間切れで、ただ配るだけという人が多い。泉さんは、話術が巧みなだけでなく、資料の使い方が実にうまい。私は見習いたいと思う。1年の終わりに、いい講演を聞かせていただきました。
泉さん、紹介者の小坂武夫さん、有難うございました。
(レポート:林 佳次郎)
■11月18日(19回):平田 信一氏による「脳力開発―本当は何をしたいのですか?―
」の報告
「のうりょくかいはつ」と言うと、つい「能力」と結びつくのですが、平田さんの語る「のうりょく」は、「脳」であり、講演は、この文字の説明から始まりました。平田さんがこの講演で訴えたことは、私には、医学的なことではなく、「人間の生きざまが、頭の生かされ方に結びついている、」という論旨であったように思えます。気力充実して努力するならば、能の活性化がおのずとなされる、そんな意味ではないでしょうか。
懇親会の席では、一人一人の頭の優秀さ、優秀で無さは生まれもったものである、その頭の生まれつきの優劣は、平田さんの言う「脳力開発」で克服できるのか、という質問が出されました。この質問は、質問としては判りやすいもので、これに関連した質問があいついだのですが、確たる結論は出ませんでした。
今回は参加者13名で、講演会というよりは、大学のセミナーのような雰囲気で皆が色々発言して、非常にアットホームな雰囲気でした。
IDNを一言で表すために「自己ブランドの想像」と言う言葉が事業案内の表紙に出ています。「脳力開発」は、自己ブランド確立のベースに位置付けるのかな、と思いました。 出席13名。
次回は、記念すべき20回です。年末でもあり、おおいににぎやかに、楽しい会にしたいものです。申込みを待っています!
(コメント:林 佳次郎)
■:10月15日(第18回) 須磨幸蔵氏による「心臓外科の進歩と日本人の功績」の報告
須磨先生(東京女子医科大学名誉教授)はIDNの熱心な支持者であり、ふれあい充電講演会の常連メンバーとして我々の講演会によく来てくださる。奈良原さん(IDN理事長)とは同郷であり、かつ、高校の同窓でもある。その縁で講演を御願いした。
今回の講演は、明治の初めにドイツに留学して、心臓の鼓動をつかさどる特殊な筋肉の存在と働きを明らかにした日本人――田原淳(たわらすなお)という人の話であった。田原淳の研究は、心電図や心臓外科や、ペースメーカーなどの発展の基礎となる、世界に誇る研究であった。ところが、私は、この方のなまえも、業績も知らなかった。多くの日本人が、知らずにいるのだ。
須磨先生は、田原淳の事跡を、日本ではじめて明らかにした方で、来年春には、日本医学会で特別講演をされる予定である。医学界の重鎮たる須磨先生が、IDNの講演会で話をしていただいたことは、私にとってたいへんな驚きであった。「須磨さん、」などと軽軽しくお呼びしていたことが恥ずかしいくらいで、IDNふれあい充電講演会もたいしたものだと強く誇りに思っている。
話は杉田玄白の解体新書の頃から、明治政府が如何に西洋医学の導入に苦心したか、ということからはじまり、田原が乗っていった船の写真を見せていただいたり、ブラジルの心臓研究所にある壁画に描かれた田原とアショフ(田原の師で心臓医学の権威)の会話するすがたを見せていただいたり、須磨先生の秘蔵のスライドを上映しながらの、非常に興味津々たるお話であった。
野口英世だけではないのだ、多くの優れた人材が世界に雄飛して、我が国の権威と名声と信頼と尊敬を築いてくれたのだ、――そして、このことを我々にわかりやすく教えてくれた須磨先生、私はあらためて過去の歴史を紐解くことの大切さを思った。
須磨先生はもともと口数の少ない方で、実は私は正直に言うと、「どんな話になるのだろう?」と心配もしていた。しかしそれは杞憂であった。先生の話はわかりやすく、スライドもわかりやすく、田原淳に対する尊敬の心と人間的な信頼の気持ちにあふれていた。人の心を打つ話であった。本日来れなかったふれあい充電講演会の常
連メンバーに聞いてもらいたかったなーと言う実感であった。
出席者 34名、須磨先生の高校の同窓の方が大勢着てくださり、懇親会でお一人ずつ感想を述べていただいた。ご夫婦で来られた方もいた。いつも以上にアットホームな、にぎやかな会であった。みなの心の中に、須磨先生への親愛と感謝の気持ちがあふれていたからだろう。
(レポート:林 佳次郎)
■9月18日(第17回) 生部 圭助氏による「住宅におけるIT革命」の報告
講師の生部さんは、ゼネコンの研究所で辣腕を振るった俊英で、今は、IDNのメルマガの責任者であり、シニア情報生活アドバイザー養成講座のコーディネーターでもある。シニア情報生活アドバイザー養成講座を取り仕切りながら、月2回のメルマガ発行は、相当大変な苦労と思うが、その激務にもかかわらず、今回の講師を引き受けてくださった。
彼は在職中、大手ゼネコンや国土交通省の若手で研究会を作り、
<ITが今後の国民生活に及ぼす影響>
<これからのIT時代での住まいの構造>
<IT時代の人の住まいかた>
を研究したのである。今回はその成果の一端を披露していただいた。
書店にも出ていないカラーの豪華なパンフレットも全員にプレゼントしてくれた。
参加者からは、
「今、住んでいる家でITに対応できるかどうか、どのように考えたらいいか?」
「マンション購入の時の注意事項」
「何年先まで考えたらよいのか?」
など、切実なハードについての質問が続いた。
思うに、住まいのことは、「お金がかかると言う悩み」 と直結していると共に、人それぞれの「生きるスタイル」 にも直接、関係する。話し込むほどに、なかなか面白いテーマであることに、皆が思い至ったようだった。
「風呂場の作り方」
「トイレの設計のこと」
「防犯の工夫」
などなど、次回は、各論に進んで欲しいと思った。
大事な報告がひとつあります。
今回から、お寿司の単価を上げました。皆、気づいて、「うまい、うまい」と箸がすすみ、発言も活発で、久しぶりに当会が誇る「マイクによる全員発言」となりました。 参加 21名。
(ふれあい充電講演会担当:林 佳次郎 記)
■7月15日(第15回)ふれあい充電講演会の報告
「癌を克服して死の淵から生還した私の毎日」講師 安藤嘉昭さん
出席者が15人くらいと想定して、今回は車座になって話を聞こうということになった。奈良原さん(理事長)の提案だ。なるほど車座で話を聞くのはいいレイアウトだった。安藤さんの話を「先生の話」としてでなく、「仲間同士の話」として聞けたように思う。さすが奈良原さん、リクルートの先生をしておられただけのことはある、と感心した。ただし、実際は参加者が20名になったので車座の外で話を聞いた人も出た。大きなテレビの画面に映る、満天の星たちや、珊瑚の海にゆうゆうと泳ぐ魚たちを眺めながらの講演だった。
私は、安藤さんがぎりぎりのところ、いったいどのようにして癌に打ち勝ったのかは、聞いていてよく判らなかった。判ったのは安藤さんが癌であることを告げられてから、不思議なことに、いまの、充実した人生が始まったと言うことだ。癌を治したというだけでなく、仏の慈悲を知り(それまでは本当にはわかっていなかった)、想像しなかった至福の毎日となったらしい、このことは聞いていて伝わってきた。
そのようなものであろう。安藤さんが今の今、見事に生きている、その姿に接することが出来たことが貴重なのだ。どうしたら癌が克服できるのか、どうしたら生き生きと生きて行けるのか、それを人から聞こうとするのは虫が良すぎる、私はこのように自分を納得させた。
安藤さんは今、お寺の副住職であり、同時に経営コンサルタント会社の社長も兼ねておられる。そのどちらにおいても並みの人には出来ない独特の仕事振りをしておられるようだ。
いつもより人数が少なかったので、懇親会では久しぶりに「全員発言」をやってもらった。マイクを持って自分なりの疑問や意見を語ることがどれほど自分自身を変えるか、この体験を私たちは普段忘れてしまっている。「全員発言」は全員を変えるのだ。(話がうまく終わらなくなる人もいる、司会者としては悩むところである。)
数日後、安藤さんから電話をいただいた。講演会のこと、IDNのことに共鳴してくださり、IDNに入会したいと言う電話であった。私が安藤さんから学んだ同じ時に、安藤さんはIDNから学んでおられたのだ。
そんなわけで、少し神がかったような、人情話のようなレポートになりました。会員8名、非会員11名、講師1名で総勢20名でした。(林
佳次郎)
■6月17日(第15回)ふれあい充電講演会の報告
テーマ :平和は当たり前? ― この国の"今"を守るもの:国づくりの基本に迫る―
講 師 :安藤 博氏(元防衛庁OB IDN賛助会員)
講師の安藤さんは陸自OBとしての体験と、国を思う一国民としての心境を、熱心にそして率直に語ってくださった。終わってから「時間が足りなかった、」と言っておられた。ふれあい充電講演会としては、初めて政治・経済のテーマに踏み込んだのだが、後半の質疑と意見発表の場がやや上滑りだった。司会者としては、少し不満でが残った。司会は実力不足だった。国を守るというテーマがでかすぎて、話題が、自衛隊のソフト面に言ったり、ハード面に行ったりした。安藤さんが力点をおいたのは、「いかに考えるべきか」というソフト面であったが、質問の多くは「自衛隊の戦闘能力」などハードなことが多かった。
戦車一台が10億円、戦闘機1台が100億から150億、護衛艦は一隻1500億と聞いて、私は取り組む金額の桁の違いを感じた。軽自動車100万以下、バスでも3000万くらいである。世界が平和ならお金はかからないのだ。でも、備えがないと個人でも、国家でも「真の自立」はない。平和であっても備えは必要なのだ。だが、備えより、もっと大事なのは、国民の自覚および政治感覚である―安藤さんが言いたかったのはこのことであろう。私もそう思う。私は、同じテーマで後2〜3回、討論をしたいと思った。
参加者は29名、 アンケートは18人の方からいただきました。有難うございました。 (林
佳次郎)
■ 益子ツアーが5月18日に挙行されました
<益子ツアーに参加して>
天気予報は雨でしたが、昼前から雨が上がり、午後は明るくなってきました。
益子の町に入ると山や田圃の緑が、一層美しく、雨上がりの靄も幻想的でした。
参考館では、濱田庄司の純粋さと迫力に圧倒されました。
鎌倉の蕎麦、メッセの濱田庄司邸とコレクションの数々、喫茶室でのコーヒーと交流。
「つかもと陶芸」から「町おこしの経過」を探訪する予定はいつのまにか消え、初めての益子で、焼き物の輝きを
感じました。奈良原眞吉 (記)
<アンケートから拾った参加者の声>
・井出さん、菊池先生に解説して頂き益子焼に付いてさらに興味をもつことができました。
焼き物にはまりそうです。次回も是非とも参加させていただきたいと思います。
・益子焼はごつくて、余り好きではありませんでしたが印象が変わりました。
・井出さんの事前講義、菊池さんの丁寧な説明つきの"スペシャル"な旅を有り難うございました。
・本物を前に、プロのお話、楽しく理解できました。登り窯の前では凄いなと思いました。
・時間があったら、陶芸一日体験したかった。
・現地に到着する前に、丁寧な焼き物への説明、そして益子での専門家の案内つき。通り一遍のツアー(旅行会社)と違い、家庭的な心配り、感謝しています。
■4月15日(第12回)ふれあい充電講演会の報告
稲田重年氏「シェークスピア劇の楽しみ方」
私はシェークスピアについてまったく何も知らなかった。一度も何も読んだことがない。今回、稲田さんの話を聞いて、まず第一の感想は、「食わず嫌いはいかん」ということだった。シェークスピアが俳優だったこと、片手間に書き始めた脚―本が好評で、だんだん脚本の道に入っていったこと、52歳か53歳かで死んだこと、350年位前の人であること、などなど、皆、新しい知識になった。
稲田さんは、一通りの説明が終わると、英語でシェークスピアの名せりふを読んで聞かせてくれた。歌舞伎の「声色(こわいろ)」のようなものだろう。私は英語の意味も、話の筋も分らないまま、「こんな世界があるのだなあ」などと思いながら聞いていた。
「今度は女性に手伝ってもらって、ふたりでやります。」
当日、稲田さんと掛け合いをするために頼んできてもらった青田教子さんが登場した。驚くべきことが彼女の口から出た!
「私は日本語でやるのだと思ってました――」
実は稲田さんと彼女とは初対面なのです。なんと言う打ち合わせの悪さ!
ところが、青田さんは、ぶっつけ本番でこの掛け合いを見事にこなしたのである。
かくてロミオとジュリエットの名場面が我々の前で再現された。
青田さんは英語がある程度できる人ではあろうが、350年前の脚本を練習も無でよくぞあれだけ読んでくれた。私はふれあい充電講演会の主催者として、心からありがたいと思う。「普通だったら断っていただろう、私だったら尻込みしていただろう」正直そのように思う。青田さんの勇気と度胸のよさに、ただただ感謝あるのみだ。かくて第12回ふれあい充電講演会は終了した。今回は、このハプニングが最大の盛り上がりであった。稲田さん、青田さん、本当に有難うございました。
2002年3月18日(月) お茶の水・スペース・Uにて、第11回ふれあい充電講演会が開催されました。
講師: 高原北雄 テーマ:「技術と文化」
多摩市民塾・塾長、元名古屋大学教授の高原さんは、昨年に引き続き2回目の講演でした。「技術だけの発展は人類の破滅につながる」という観点から『人が人として生きてゆくための知恵』を教える(教育する)ことの大切さを語られました。形状記憶合金や四千年前の中国の古銭を持ち込んでの「現物に触れて学ぶ」お話に、何人もの参加者から感謝の言葉が出ました。
懇親会の席では、司会の私が「乾杯の前の挨拶は短く」とプレッシャーをかけたので奈良原理事長は、少し、話し足りなかったかもしれません。
今回は、来月の講師の稲田重年さん(4/15 「シェークスピア劇の魅力を語る」)、5/18の益子(ましこ)焼き物ツアーのコーディネーターの出井昭一さん、6/17の安藤博さん(「我が国の防衛を語る」)――と、3人の講演予定の方のご出席がありまして、お一人ずつ抱負を語られ、大変盛り上がりました。
来場された方 27名。
なお、4月と5月の開催内容については「イベント情報」を見てください。6月の講師はふれあい通信4/15
では金田和友さんとなっていましたが、安藤博さんにかわりました。
(報告 林 佳次郎 3/21記)
2002年2月18日(月) お茶の水・スペース・Uにて、沖本 弘氏(竹中大工道具館 副館長)第10回ふれあい充電講演会が開催されました。テーマは
「大工道具の心と技――鉋(カンナ)のはなし――木造建築における大工道具の歴史」でした。今回は神戸の竹中大工道具館の副館長、沖本弘さんにおいでいただき珍しい話題を解説していただきました。竹中大工道具館は竹中工務店が神戸の県庁の近くに作られた、ユニークな博物館です。大工道具1万1852点他が収蔵されています。
当日は @ ビデオ「大工道具の心と技」 上映
A 講演 「鉋について」
B 質疑応答
C ふれあい懇親会
のスケジュールで進行しました。今回は木工家具の製造、販売にたずさわっている方々の参加も多く、沖本副館長の詳しい説明に聞き入りました。日本人は「引く」が、西洋人は「押す」という話題では質問が続出し活気と笑いにあふれました。来場者 35名。
今回から開場がお茶の水のすぺーす・Uに変わりました。
◆2002年1月21日(月) 水道橋・G-net Clubにて、奈良原 眞吉氏(IDN理事長)第9回ふれあい充電講演会 「支え有りて在る」が開催されました。新年の初回の講師はIDN理事長の登場となりました。演題がやや判りにくいかと思いますが、72年の人生の道のりを振り返って、そこで知りあい、支えあった人々についての思いを語られたのです。ご来場者 41名。理事長の人柄を知る方々が集いました。来場者数の新記録です。
林の独り言 「中学で結核になり5年の闘病生活をされたことに大きな驚きと、忍耐に対する尊敬の気持ちを強くもちました。人に対していつも包み込むような接し方をされるのも、その様な貴重な人生経験からであろうか。話がやや長くなり、ふれあいのスピーチの時間が少なくなったことが少しだけ残念であった。」
◆2001年12月17日(月) 水道橋・G-net Clubにて、林 佳次郎氏(IDN運営委員)の第8回ふれあい充電講演会 「戦後日本カメラ発展史」の講演会」が開催されました。今回は外部講師ではなくIDNの会員による講演でした。昭和20年から40年まで日本のカメラが如何にして成長発展したか、歴史的カメラ11台を会場に持ち込んでの講演となりました。ご来場者 31名。
林の独り言 「講演を準備してゆく過程で自分の心が燃えてくるのを感じた。長年続けてきたカメラ蒐集への思いを判ってもらいたい、と強く願うようになっていったのです。講演をすることが自分を高めることになる、ということが良くわかりました。」
◆2001年10月22日(月)
講師:木下 勝弘氏(一級建築士、工学博士)
テーマ:WTCビル(世界貿易センタービル)は何故崩落したか
◆2001年9月17日(月)
講師:松本喜一氏(ダイアアクティブエイジング新宿ネット理事)
テーマ:花・12月ガーデニング、月下美人は全国同時に咲く?
◆2001年8月5日(日)
江戸囃子 納涼会:成宗囃子保存会
場所:須加神社(阿佐ヶ谷)
◆2001年6月23日(土)港区立生涯学習センター「ばるーん」にて、柴田啓介氏の講演会「日本の心の歌と歌手生活28年」が開催されました。柴田先生の10数曲の歌声と共に、中山悌一氏に認められてこの道一筋に励まれているお話は、感動を呼びました.また、先生の指揮で全員発生練習の後、「兎おいしあの山」の”ふるさと”を合唱しました。
◆2001年5月28日(月)港区立生涯学習センター「ばるーん」にて、山本悟人氏の講演会「世界一周ヨットレース参加と私の手相体験40年」が開催されました。 聴講者一言コメント…世界一周ヨットレースに挑戦中の 山本 悟人氏『ヨットレースにまつわる素晴らしい人々との出会いと手相観体験 40年』(万事前向きにものを捉えていくことの大切さを教えられた。フルートの演奏と希望者全員の観相のアトラクションにも感銘した。)
◆2001年4月19日(木)市ヶ谷の鞄本マンパワー東京校にて、杏迦偉(アンディ)氏の講演会「私のベトナム戦争と福祉活動」が開催されました。アンディーさんは、アメリカで日系三世として生まれましたが、様々な迫害を受けたり、ベトナムの最前線に送りこまれ捕虜生活を送った話しなど、大変貴重なお話をしていただきました。聴講者一言コメント…国際的福祉活動家 オーリー・アンディー『米空軍軍医大佐として参戦したベトナム戦争の体験談と福祉団体 ”星の金貨” の活動について」(平和ボケした日本人には想像も出来ない苛烈な体験談にショックを受けた。更に、真の福祉活動とは?に触れる事ができた。
◆2001年3月26日(月):高原北雄氏による講演会(テーマは「学習は我苦愁(ガクシュウ)から楽修(ガクシュウへ)」)が開催されました。 聴講者一言コメント…ジェットエンジンの国際的権威 高原 北雄氏 「2000年前の古鋳貨は、我々に何を語るか? 百見は一触に如かず、百触は一作にしかず 」(柔軟で広い思考の仕方と学び方を教えられた。)
◆「第8回職業能力開発研究発表講演会」に参加!
2000年11月1日〜2日にかけて、職業能力開発総合大学校(相模原市)において、「第8回職業能力開発研究発表講演会」に参加し、自立化支援ネットワークにおける職業能力開発支援というテーマで、平田信一氏が発表されました。来場者は40名で、主な関心事は、PPS・CARE・脳力開発・月1フォーラムなどでした。NPOに関心のある人もいて、資金のことなどについて質問を受けました。
◆2000年10月19日(木)大東文化大学にて、講演会を開催。
大東文化大学の学生さんを対象に(授業として)、奈良原眞吉氏による講演会「日本的NPOの創出」が開催されました。
グローバルスタンダードの時代を迎え大競争社会が訪れ、勝ち組みと負け組みに分かれるお話から始まり、今後は経済中心から人間中心の社会に向かい、その中でもNPOの果たす役割は大きい、会社は縦社会だが、NPOは横社会の組織であることなど、約90分にわたる講義でした。
◆2000年9月29日(金):金田和友氏(和三サポート:代表)による「受身の人生からの脱出!」というテーマで、講演会が開催されました。
40年にわたるサラリーマン生活や会社での研修を通じて得られた、実体験に基づくお話がありました。「慣習にとらわれずに、自分自身に疑問を投げかけ、自分を取り戻し、自分で行動しよう!」「繰り返し行動することにより習慣を変え、新しい品性を備え、望ましい運命を招きいれよう!」「自己中心を廃し、共に手を携えて生きていこう!」など、多くの呼びかけを提供していただいた講演会でした。
◆2000年9月3日(日):木下勝弘氏(工学博士・一級建築士)による「地震と建物被害について」の講演会が開催されました。
地震による建物被害は、地震とそれを伝播する地盤、さらに建物の振動性状が絡み合った結果として、被害が建物に現れます。今回は、兵庫県南部地震の例を中心にお話されました。また、来るべき「東京直下地震」の被害想定や、「耐震診断」(チェックシートを使用した)などの話もあり、大変な盛り上がりになりました。
◆2000年7月23日(日):「自分を生かす喜び!」定年5年前に会社を辞めて独立した、堀江透氏(薬学博士)の講演会が開催されました。
厳しい時代であるが、これを逆手にとれば自立のチャンスである! 自分が組織から離れてみると、いかにいままで与えられた環境の中でしか生きていなかったかということが良く分かった。妻に、「辞めて独立する」と言ったとき、即賛成し、励ましてくれた話など。
◆2000年6月18日(日):「家庭における省エネルギー」をテーマに、遠藤博行氏(エネルギーコンサルタント)の講演会が開催されました。
現在のエネルギー事情に始まり、家庭におけるちょっとした工夫で、随分と省エネルギーが実現できるというものでした。
「電気を使用する時間帯」「契約の種類によっても値段が変わる点」「省エネタイプの電球の効果」「電気料金の計算法」など。
◆2000年5月7日(日):NPO4団体による、「NPOフォーラム」が開催され、NPOの活動内容や関心事・課題についての発表がありました。
法人にすることの意味いおいて重要なのは「永続性」であり、資金力や経営力が一般の企業と同じくらい(またはそれ以上に)努力しなければならないことなどが確認されました。【NPOしながわフォーラム、NPO・IWC/IAC国際市民の会、NPO高齢者生活支援センター・らいふ舎 他】