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                               メマガ IDN 【第44号】
                              Inter Depending Network
                                2004年2月1日発行
                                     
                       
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                                   《第44号のご案内》

1.シニアネットフォーラム21 in Tokyo

2.ふれあい充電講演会
   =1月(第33回):「朗読と琴の鑑賞」の報告
   =2月(第34回):「江戸東京博物館見学」の案内

3.シニアー情報生活アドバイザー講座
  =第23期:開講の案内(2004年2月〜3月)

4.学生,社会人の進路相談
  =燃え尽き症候群:前回の続き

5.下関支部レポート
  =中原郁夫遺稿「平家物語・探訪」第一話 祇園精舎のシャラの樹

6.武兵衛とokokmanの「楽しくパソコンライフ」(最終回)
  =迷惑メールを排除する

7.IDN会員募集のご案内
  =入会を考えている方に(再掲)

8.連載
  =羽澄 勝さん:アジア ナウ その8

9.ふれあい広場
  =IDNアウトドアクラブ:メーリングリストへのお誘い(再掲)     
  =水口秋子さん:南極へ行った林田カメラマンは父の同僚でした

10.編集後記
 =プロジェクトX南極余話(その2):南極で25年過ごした居住棟の復元

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1.シニアネットフォーラム21 in Tokyo
  「シニアネットフォーラム21  inTokyo」が明日(2月2日)から2日間にわたって日本青年館で開催されます。自立化支援ネットワーク(IDN)では、当日の運営への協力を委託されております。すでに、開催案内のホームページで参加者募集に貢献、ワークショップのコーディネータと課題提供者との対話による準備、参加者のネームプレートの作成が行われてきました。また、明日の懇親会の余興に古澤錦志師(IDNの「ふれあい充電講演会」で公演)を推薦し出演が決定しました。本日の午後、IDNの支援チームのスタッフの皆様の協力を得て資料の準備作業と運営の最終打ち合わせを行ないました。休日にもかかわらずたくさんの皆様にご協力いただいたことに感謝いたします。明日からの2日間を成功裏に終了させるべく、重ねてのご協力をお願いいたします。

2.ふれあい充電講演会

■1月(第33回):「朗読と琴の鑑賞」の報告
 1月19日(月)にシニアワーク東京で、新春に相応しい琴の音にのせて吉村昭作「梅の蕾」を朗読と筝曲の演奏を楽しみました。朗読を聞く機会はあまりありませんが、東北の僻地の心温まるお話を藤絢子さんに朗読していただきました。「涙を隣の人に見られないように隠すのが大変だった」との声も聞かれました。
  次に、桃井実千子さんと小野寺歌波さんによる筝曲が2曲演奏され、新春にふさわしい琴の音を堪能しました。
朗読:吉村 昭 作 「梅の蕾」 
演奏:八橋検校 本手作曲    筝曲「六段・二部」 
        宮城道雄 作曲   二面の筝の為の「春の海」 

■2月(第34回):「江戸東京博物館見学」案内
  当館ボランティア芳野征太郎氏のご案内で、江戸開府から鹿鳴館時代までをじっくりと辿ってみたいと思います。江戸の日本橋を渡るとそこは江戸時代の世界です。芳野氏の軽妙にして緻密な解説を聞きながら、日本という国家のアイデンティティーが確立された近代史の一部をヴィジュアルに学ぼう、と言うイベントです。

見学コースのあらまし
・江戸ゾーン:日本橋・江戸図屏風・松の廊下・越後屋、
・助六の舞台東京ゾーン:朝野新聞社・鹿鳴館・銀座煉瓦街

見学終了後、隅田川べりを散策して懇親会の会場へ参ります。江戸時代からの老舗「駒形どぜうや」が我々を待っています。

・日時:2月11日(水)PM1:30 1階ホール集合
 3:30まで見学 懇親会場へ移動
 4:00から駒形どぜうや(予定)で懇親会 

・場所:江戸東京博物館    墨田区横網1-4-1 両国国技館隣り TEL  03-3626-9974
  (JR両国駅・西口から徒歩3分、地下鉄大江戸線両国駅A4出口から徒歩1分駅)

・会費:1000円、懇親会費 3000円 

・申込み:金田 03−3392−1043  メール<mailto:afu@k2.dion.ne.jp>
             中川 03−3869−0315     メール<mailto:mgt-naka@cilas.net>
     
〆切は1月末日とさせていただきます。ご参加の申し込みをお待ちしています。  
半額割引がありますので、65歳以上の方は身分証明書を持参してください。
   
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3.シニア情報生活アドバイザー講座

■ 「シニア情報生活アドバイザー」養成講座とは
  この講座は、高齢期の生活に密着した、情報技術(パソコンやネットワーク)の楽しい活用方法を教えることが出来る人を養成する講座です。NPO(特定非営利活動法人)「自立化支援ネットワーク」(略称IDN)は、「ニューメディア開発協会」(経済産業省の外郭団体)が認定する「シニア情報生活アドバイザー講座」の養成講座実施団体に指定されています。

■ シニア情報生活アドバイザー養成講座:第23期の案内
23期はすべて週末の開催です

第1日目 第1講義 2004年02月14日(土)   9:30〜12:30  アクティブワン秋葉原
第1日目 第2講義 2004年02月14日(土) 13:30〜16:30  アクティブワン秋葉原
第2日目 第3講義 2004年02月21日(土)   9:30〜12:30  アクティブワン秋葉原
第2日目 第4講義 2004年02月21日(土) 13:30〜16:30  アクティブワン秋葉原
第3日目 第5講義 2004年02月28日(土)   9:30〜12:30  アクティブワン秋葉原
第3日目 第6講義 2004年02月28日(土) 13:30〜16:30  アクティブワン秋葉原
第4日目 第7講義 2004年03月06日(土) 13:30〜16:30  アクティブワン秋葉原
第5日目 第8講義 2004年03月13日(土) 13:00〜17:00  アクティブワン秋葉原

・会場:アクティブワン秋葉原
         千代田区外神田6-15-9
         JR秋葉原より歩10分

ご希望の方は下記へ申し込んで下さい
 <mailto:idn@npo-idn.com>

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4.学生,社会人の進路相談をいたします

■燃え尽き症候群:前回の続き
  来年の3月で仕事を辞める決意をしている小生は、「無聊の日日」(前回メルマが掲載)を読み、衝撃を受けた。なぜなら、理屈では十分にわかっているものの、現実はこんなにも異なるのかと、改めて知らされたからである。私は格別の趣味を持たないから、果たして1日を無事に過ごせるか、と考えさせられた。近くに友人といえる人もなく、外出もまめなほうではない。家に閉じこもったままの生活になるのではないか、という不安が募る。今の生活には夢も希望も抱いていない。家内の病気看病で精根尽きたためだ。そのうえ、子供が独立して親としての責任がなくなり、安堵したこともある。ならば、自分の好きなことに頑張ればいいと思うが、なぜかその気が起こらない。

  それなのに矛盾するが、今は退職の日が1日も早く来ることを願うだけである。いい年をした男が、と嫌になってくるが、どうしようもない。「燃え尽き症候群」という言葉があるそうだが、小生もそれだろうか。何事もきちんとしなければ気がすまない性格が結果としてそうさせるのか。いずれにしろ4月からの計画を立てなければならないが、また張り切り過ぎて、同じ失敗をしそうだ。肩の力を抜いて、自分を追い詰めることはやめよう。どんな第2の人生になるか、楽しみでもあるが、怖い気持ちもする。(茨城県つくば市 教員 63才)

  新聞の片隅に、こんな記事が時々現れては目につく。
「会社」と違って[社会]には、思いもつかない人々が、予想を越えた思いを抱きながら生きているものだ。正直に書かれているだけに、胸を打つ記事である。

(レポート:奈良原理事長)

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5.下関支部レポート

■中原郁夫遺稿「平家物語・探訪」   第一話 祇園精舎のシャラの樹
 「平家物語」序文の秀逸は単なる韻律だけでなく、わずか二文節で人々の耳目を覚醒させる点にある。「祇園精舎の鐘の声」と「沙羅双樹の花の色」は、耳を澄まさせ、眼を注がせるのだ。沙羅双樹の花の色は、釈迦入滅のとき白色に変じたという。この名文を口ずさむと、僧侶集団の朗々たる読経の声が鎮魂ミサ曲のように、胸をゆさぶって聞こえてくるから不思議である。平家の亡霊を弔うように、またさとすがごとく、潮の流れのように寄せては返しこだまする。
 祇園精舎はインドの北部、ネパール国境に近いガンジス川の支流、ラプチ川の上流にあったといわれ、遺跡も発見されたといわれる。

 さて、シャラの樹はインド原産の名木である。釈迦が最後の説教をし、いよいよ涅槃に入った。その寝床の四辺にあったのがシャラの樹で、ひとつの根から幹が二本ずつ出ていた。もともと黄色の花をつけるのだが、釈迦の死を悲しみ二株の木(双樹)になり、白い花をひらき落花してその遺体を覆いつくし、のちに樹は白変して枯れたといわれる。盛者必衰のゆえんである。お寺でよく見かける涅槃図には入滅の釈迦が横臥し、回りに弟子、動物が寄り添い、天上からは摩耶夫人(釈迦の母)が迎えに来ている。その定番の構図の中に、沙羅双樹が描かれている。シャラの樹は常緑樹で、高さは30bにも達し、チーク、ヒマラヤスギと並ぶインド三大名木の一つ。花は淡黄色で芳香があり、夕べに咲きはじめ、翌日に散る短命の小花である。

 ところで日本では、沙羅双樹と呼ばれるナツツバキが寺院や園芸愛好家の庭に植えられ、真正のインド産シャラの樹と混同されていることが多い。わたくしは新聞の片隅の記事で日本のシャラの樹について、実に貴重な証言を得た。平家物語探訪の不思議なめぐり合わせである。次の機会にそのことをお伝えしたい。

中原郁夫遺稿集「平家物語探訪」より抄出連載
元下関市立図書館長、郷土史家。
「文学歳時記」など著書多数。
奈良原理事長の学友。
リライト・武部忠夫/写真・青木紀雄
 
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6.武兵衛とokokmanのリレー連載「楽しくパソコンライフ」

■連載41回 ―  迷惑メールを排除する ― 
 分けもわからないダイレクトメールが来て困っているという方が居ました。皆さんのところはどうですか? 私のところにも沢山の迷惑メールが来ます。そこで,今回はこの迷惑メールが来たら自動的に捨てる方法を,Outlook Expressの場合について説明します。
 受信メールの中の,削除したいメールを選択してメニューの「メッセージ」→「送信者を禁止する」を選択します。“現在のフォルダから,この送信者のメッセージを削除しますか?”と出ますので[はい]をクリックすればこれで登録終わりです。
 削除リストから解除したい時は,メニューの「ツール」→「メッセージルール」→「禁止された送信者の一覧」を開いて,リストの中の解除したいアドレスを選択して削除すれば解除されます。
 不要なダイレクトメールはいくら削除しても削除しても,異なるアドレスでまた来ます。
根気良く捨ててゆけば少しは減ると思います。

(担当:岡角 興次さん)
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岡角さん・小坂さん長期間ありがとうございました。ご苦労に感謝いたします。両者に対する声をお待ちします。
45号から新企画を登場させます。ご期待下さい。

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7.IDN会員募集のご案内

■ 「自立化支援ネットワーク」は
内閣府(旧経済企画庁)にて認証を受けているNPO法人です。
自立化(相互)支援ネットワークの目指すもの! 
それは…自分らしい生き方・自分らしい職業を見つけてもらうこと!
同じような悩みを持っている人同士、仲間になって「自立」を助け合い、よりよい社会生活を支援していくことが我々の願いです。
 
■ IDN会員募集中
NPO(特定非営利活動法人)自立化(相互)支援ネットワークでは、正会員と賛助会員を募集しています。
*会員の方々には、会員の活動状況や情報を掲載した機関誌を、年4回発行し配布いたします。
*会員の方々には、各プログラムの割引が適用されます。
*入会金及び年会費については「入会を考えている方に」を参考にして下さい。
*詳しいことをお知りになりたい方は、eメールで、事務局までお問い合わせください。

■入会を考えている方に
  会員になるには,自分の意思(Will)がなんといっても大切です。少なくとも何のために入会しようとしているのか,目的を決めて入るのが賢明です。

  入会の手続きとしては,入会申込書と,入会金の支払いが必要になります。会員には,正会員(主体的に活動を行う会員で,総会の議決権を有する会員)と賛助会員(団体の主旨に賛同し,直接、間接時間の許す範囲内で活動する会員)の二つのタイプがあります。どちらの会員になるかは,やはり自分の意思で決めて下さい。

  会費には入会金と年会費とがあります。
入会金は正会員が1万円,賛助会員が千円です。
年会費の方は,正会員が年間一口1万円,賛助会員が一口千円です。
年会費を何口にするかも,ご自身の意思で決定して下さい。

 賛助会員の年会費の口数を決めるに当たっては,以下を御参考にお考えになって下さい。
いまの法律では,一人3千円以上の会費を支払った賛助会員の会費の合計が,その団体の年間経費の25%を越えていれば,その団体(NPO)は、一般の多くの市民に支持されている優良な団体として税務署が認め,その団体に対し一般の人が寄付したお金は、税金を払ったと同じように認められ,納税時に配慮されるという点です。(ちなみに一人3千円未満はその計算の対象にならないということです)

 メール送信先:<mailto:idn@npo-idn.com>

 ホームページ: http://www.npo-idn.com/

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8.連載

羽澄勝さん(アドバイザー15期生):アジア ナウ 
アジア ナウ その8  続・お正月ちょっと一息(ウイーン=トルテ and/or クラシック)

前回に続いて東欧旅行の話を聞いてください。

  ハンガリーの隣オーストリアの首都ウイーンへは鉄道で移動した。3時間の予定が途中で貨物列車の脱線事故に会い、約一時間送れてウイーン(西駅)へ到着。ブダベストの駅の案内ボードは(ドイツ語ナノカナ?)全く分からない。同じような時間に出発する列車が二本あり、女房と娘を待合室に待たせ、案内所を探して無愛想な窓口で何度も確認して、目的の列車に乗り込んだ。やはりハンガリーが、東欧の中でもEU加盟が遅れているのも理解できる。

  車内は6人がけのコンパートメントで、ゆったり出来る。指定券を購入した場合は、部屋の入り口に予約のステッカーが差し込んであるのでそれを確認すればよい。また、指定券ない場合は、ステッカーの差し込んでない車室を使用すればよいとの事であった。
  到着は大幅に遅れたが、はじめから車窓を楽しむつもりでいたので、あまり気にならなかった。車窓を移り行く田園風景や、初めて見るゆったりと回る風力発電の風車を見ながら、食堂車でなんとなくほっとした気分でコーヒーを飲んでいると、入れ替わりに入ってきた税関が、出国手続きと入国手続きを順次済ましてくれる。恐らく、ハンガリーがEUに加盟してしまうと、なくなるのだろうなと思うと、一層感慨深いものだった。またオーストリアへの入国スタンプに、機関車の挿絵があるのも旅行者への配慮を楽しく感じた。

  ウイーンはご存知音楽の都、先ずはシェーンブルン宮殿からヨハンシュトラウスの演奏会、そして音楽家の銅像めぐり、極めつけはウイーンのシンルボルである、シュテファン寺院の裏手にあるフィガロハウスで、モーツァルト直筆の楽譜のコピーを購入。これが娘の夢であり、其の夢と今回の旅行の目的はこれで叶えられた。・・・・・と思った。

  しかしもう一つ有りました。それは"ザハー・トルテ"を食べることでした。(地球の歩き方にも詳しく書かれていますので、興味ある方は書店でこの部分を、立ち読みしてください。・・・ 本屋さんゴメンナサイ)ウイーンの二大トルテ(もう一つはデーメル)の片方。娘はこれを食べないとウイーンに来た意味がないと言って聞かない。三日間の滞在中午前午後と毎日覗いたが、其の都度、店からあふれる程の行列。最後は諦めてくれるかなと思ったが、食べ物に対する執念がこれほどとは思わなかった。最終日の空港へ出発するまでの時間を見ながら、日ごろはグズの娘が先頭に立って、朝8:30にザハーホテルのカフェーへ。開店を待ってついにもう一つの念願である、"ザッハー・トルテ"に有り付いた。甘いものに縁のない私も女二人に付き合って、いわゆるウインナコーヒー(当地ではアインシュペンナーeinspannerと言わないと中々通じない)と"トルテ"という大きな思い出を体験することとなりました。まさに家族旅行の体験でありました。

  ウイーンの町並みは決して広くないが、建物一つ一つに趣があり、ステファン寺院の礼拝の時間に遭遇すると、崇高なパイプオルガンの音色に宗教心の希薄な私も敬虔な気持ちに引き込まれてしまう。宮殿の絢爛たる調度品と装飾を見ていると、中世の栄華が目に浮かぶ。日本にはないヨーロッパ文化と歴史に率直に憧れを感じた。次は音楽とヨーロッパの文化と歴史をもう少し予習して来たいものだ。

次回から又、足元のアジアの体験に戻ります。

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9.ふれあい広場

■IDNアウトドアクラブ/メーリングリストへのお誘い(再掲)
  IDNアウトドアクラブは自然に親しむことを通じて会員の健康維持や相互の親睦をはかることを目的として発足しIDN-ADF2003で産声をあげたばかりです。活動内容はみなさまのご意見をもとに広げていく計画です。連絡や
情報交換のためにメーリングリストを開設しましたのでアウトドアに関心のある方、お気軽にご連絡ください。

連絡先 
<mailto:idn-outdoor-owner@egroups.co.jp>

会員の「お名前」、「メールアドレス」をお知らせください。メーリングリストに登録します。

■水口秋子さん(アドバイザー20期生):南極へ行った林田カメラマンは父の同僚でした

水口さんから生部へ
  今日は。シニア情報生活アドバイザー講座20期を受講以来、メルマガを送って頂いている水口秋子です。今回何気なく編集後記プロジェクトX  南極余話(その1)を斜め読み(すみません!)していたら、懐かしい名前が出てきたので、オヤ!と思い詳しく読み始めました。懐かしい名前というのはカメラマンの林田重男さんです。
  実は私の父は(もう故人ですが)日本映画新社で録音技術者として仕事をしており、林田さんは同僚。父は南極にこそ行かれませんでしたが、東京オリンピックの記録映画では録音を担当しました。もう、全てが大昔の事となってしまい、林田さんと言っても世の中でご存知の方のほうが少なくなってしまいましたので、今ごろお名前を発見して思わずメールを書いてしまいました。世の中狭いですね。

生部から水口さんへ
こんにちは。思はぬメールをありがとうございました。世間は狭いと感じることがありますね。40号に、自費出版で、「塔に魅せられて−近畿・岡山編」を出版された山際得悦氏のことを書きましたら、佐藤隆一さん(21期生)から、早稲田グリークラブで2年先輩、共に歌っていた仲間だとメールをもらいました。山際さんは、バリトンのパートリーダーだった。今は、塔に魅せられて同期の集まりにも、OB会にも顔を見せないとのこと。

  林田さんは言葉はとつとつでしたが、自分の仕事に思い入れが深く、技術力が高く、しかも謙虚でした。ロケハンに行って、後日現地に行った時にはカメラの位置・パンする角度とズームのスピードなど一点の迷いのないのに感心しながらそばに居たのを思い出します。

  日映新社のスタジオは当時目黒だったと思いますが、音楽録りの時には、ガラス越しに画面と演奏する人たちを見ながらミキシング卓の前で録音技師の傍に座っていました。録音担当の方は、須田晃次さん。シナリオに全員で署名していただきましたが、須田晃次さんや当時の堀場社長の署名もあります。
昭和46年から47年の初め頃のお話です。

水口さんから生部へ
  再び懐かしい方々の名前が出てきました。須田さんは父の下にいた方で、日映の録音には父を始めとして、なぜか長身、長めの顔の人が多かったのです。林田さんは、禿げ頭でいかつい顔でしたね。昭和46年ごろということで、父は既に定年(昔は50歳が定年でした!)で、嘱託としてまだ残っていた頃だと思います。私が子供の頃、母に連れられて銀座にあった会社を訪ね、堀場社長にお目にかかった記憶がうっすらあります。
全て昔話となってしまいました。

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■「ふれあい広場」について
皆様の近況・IDNに対する意見・催しもの案内・等など内容に制約はありません。
思わぬ出会いがあるかもしれません。
下記のメールアドレスへ自由に投稿して下さい。お待ちしています。

<mailto:merumaga-idn@npo-idn.com>

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10.編集後記

■プロジェクトX  南極余話(その2):南極で25年過ごした居住棟の復元
  前回に南極へ行った林田カメラマンのことを書いたら、水口さんより、林田さんはお父様の同僚だった、と思わぬメールを頂いた。ふれあい広場に掲載させてもらった。

  さて本論。大型トラック1台分のパネルや梁などの材料や部品を、極地研究所の倉庫からお借りして技術研究所の大型実験棟の中に持ち込んだ。1981年6月のこと。パネルや部品は1956年に制作し、南極で居住棟として25年間使用したものを解体して日本へ持ち帰ったものである。

  1957年7月から58年12月までの1ケ年半は国際地球観測年にあたっていた。殊に南極と北極は主要観測地としていされており、南極については未知の地域が大部分を占めておりその観測調査が究めて緊要なものと考えられていた。世界主要国9カ国と共に日本も地球物理的な諸現象の観測に参加する事になり、昭和30年に閣議で正式に決定された。戦後10年経った我が国は国力も十分でないなかで賛否両論戦わされた。全国的な盛り上がりを見せるまでのいきさつについてはプロジェクトXでドラマティックに語られていた。

  未知の南極に建物を作るために建築学会のなかに委員会が構成され、建物つくりのプロジェクトが開始された。1955年(昭和30年)12月のこと。
  建物を計画する時の主な条件を記す。外気温は最低−60度C、室温を15度Cを確保。最大風速は秒速80M、積雪2M(屋根面)。気候的な条件もさることながら、建設に素人の観測隊員が人力で作る(組み立てる)事が出来る事、宗谷に積んで運ぶ事、1年後には晴海埠頭から宗谷は出発する、という当時としては途方もない条件での出発だった。
  困難を乗り越えて完成された4棟の材料と部品は、翌1956年11月に宗谷に載せられて南極を目指した。居住棟は南極で25年を過ごした。観測隊の方々は、日本へ向けての出発準備で忙しい中解体して観測船「ふじ」に積み込んだそうである。南極にはまだ1956年に運ばれた同じ建物が残されている事を知った。先日の番組の中で、赤い色をした四角い建物が見えた。内部にバーのカウンターが残されていたあの建物が4棟のうちの1棟である。

  建物の大きさは、長辺26M、短辺16M、天井高2.4M、面積420平方メートル(ベッド数7)。床パネル14枚、天井パネル14枚、壁パネル22枚。パネルの大きさは長辺2.4M、短辺1.2M、厚さ10CM。
  天気のいい日にすべてのパネルをあたかもプラモデルのように実験ヤードに並べた。2枚の壁パネに1部破損が見られたがその他は健在だった。床パネルは、雪中に長く埋もれていたためか、床表面の仕上げ部分は相当傷んでおりの乾燥した状態で埃がすごく喉をやられた。パネルを組み立てるための楔を利用した金物のコネクター(380個)、金属製の梁(30本)もすべてそろっていた。 

  25年前のマニュアルにしたがって組み立て作業を行なった。私はすべて人力で行なう事を望んだが、諸般の事情でクレーンの力も借りた。木製の土台を設置して、金属製の床梁― 床パネル―壁パネル―金属製の屋根梁―屋根パネルの順に組み立てた。特にパネルの組み立ては、コネクターでパネル間を結合する事であっけないほど簡単だった。パネル間の接続はコネクタをハンマーで固定する工法で釘などは1本も使っていない。試しにパネルの位置を変えてみたが全く問題がなく、パネル形状の精度も抜群であることがわかった。2日間で、大型実験棟の中に25年前の姿に復元することが出来た。日本最初の木質パネルによるプレハブ、といわれているが、先輩達の知見と努力に改めて感じ入った。
 
  材料と部品一式を極地研究所にもどしたが、床パネルを1枚、壁パネル2枚をサンプルとして実験用に残した。パネルとしての強度試験、パネル枠の木材の強度試験を行ない、25年後に劣化が見られないことを確認した。合板の接着剤の劣化はみられなかった。断熱材(スチロポールP)には黴が見られ断熱性能は低下している事を確認した。これらの一連の作業の結果については、プロジェクトXにも登場した平山善吉先生などと共同執筆で報告書に纏めた。
 
  復元した建物を見学するためにたくさんの人が見えた。越冬隊長の西堀栄三郎さんをはじめ、関係者をご招待してささやかなパーティを催し往時を偲んでもらった。

  その後、映画「南極物語」(1983年 蔵原惟繕監督)のために映画スタジオ内での組み立てに協力した。タローとジローが南極に取り残されて、建物の中につるされている折り鶴を小窓を通して見るシーンを撮ると聞いた。
  1997年に「日本南極観測40周年記念 不思議大陸南極展」が開催された時に、国立科学博物館の前に組み立てられて展示された。
  性能実験をする際、床パネルから45CM角を2枚切り出して、1枚を技術研究所に保管し、1枚を船の科学館に届けた。同館のそばの海に係留されている宗谷の「船室」に展示してあったが、今はどうなっているか確認したいと思ったが時間がとれなかった。【生部】

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