連載
莫妄想
井出 昭一

第 1回:05.06.01 第76号 柳緑花紅の続編を書くにあたって
第 2回:05.06.15 第77号 東博と仏教寺院関係の特別展
 3回:05.07.01 第78号 東京国立博物館の平常展のススメ
 4回:05.07.15 第79号 東博で陶磁を楽しむ
第 5回:05.08.01  第80号  陶磁展花盛り(上)
第 6回:05.08.15  第81号   陶磁展花盛り(下)
第 7回:05.09.01 第82号 東博絵巻物語
第 8回:05.09.15 第83号 東博での「フランス美術展」の思い出
第 9回:05.10.01 第84号 上野の杜の建物よもやま話(1)
第10回:05.10.15 第85号 上野の杜の建物よもやま話(2)
第11回:05.11.01 第86号 上野の杜の建物よもやま話(3)
第12回:05.11.15 第87号 上野の杜の建物よもやま話(4)
     :05.12.01  第88号 連載を終えて―My Museum 東京国立博物館―
           :05.12.15  第89号  連載を終えて
   

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第1回「柳緑花紅」の続編を書くにあたって 【メルマガIDN 第76号 2005年 6月 1日発行】
 「柳緑花紅」(柳はみどり、花はくれない)の続編を書くことにしました。理由は簡単です。「続きを書いてほしい」という声が多かったからです。
 ボランティア活動を通じて感じた東博(東京国立博物館)の魅力は、知れば知るほど奥深いことです。自分の頭の整理と勉強のためだと思って書き綴った東博についてのエッセイが思いがけない反響を呼んで驚いているところです。また、インターネットの威力を改めて実感しました。

 前回のシリーズのテーマを「柳緑花紅」とすることには、いろいろ考えた結果でしたが、今回は“妄想”することなく「莫妄想」(まくもうぞう、まくもうそう)に決めました。「柳緑花紅」は「柳は緑、花は紅、妄想すること莫れ」の冒頭の語ですから、それに続くのは「莫妄想」だからです。過去については、忘れること、気にしないこと、あきらめることなどといいながら、過去のテーマを気にしているのですから、どうやら凡人は妄想から足を洗うのは難しそうです。

 今年の4月、亡父母の法要で、久しぶりで信州に帰りました。その際、佐久市の貞祥寺(注)を訪れ、住職の岡本有光老師にお願いして、本堂に掲げられている澤木興道禅師揮毫の「莫妄想」をカメラに収めてきました。力強く迫力ある書ではないかと思います。これを揮毫された昭和21年の夏といえば、終戦1年後です。戦後の混乱のまだ収まらない時期に、澤木興道禅師が貞祥寺の参禅会に来られて、親交のあった31世岡本大鵬老師にこの「莫妄想」を贈られたようです。
 寺院にとって「莫妄想」の額を掲げてあることは極めて好都合だと思います。というのは、寺を訪ねてきた人から何を訊ねられても、この額を指で差せば良いのです。もし、「どういうことですか?」と訊かれたら「妄想すること莫れ!」これでことは終わりです。私もこれから妄想することなく、前向きで東博とか美術とか茶道についての話題を幅広く取り上げてゆきたいと思います。                        
 「柳緑花紅」については、ありがたいことに読者の方々から、明らかな誤り、誤字・脱字、読みにくい文章など多数ご指摘いただきました。これからも皆様から、誤った記述をご指摘いただくのは当然のこと、ご感想、ご意見などを下記宛お送りいただければ幸いです。

井出昭一 ides316@warabi.ne.jp
 
(注)貞祥寺
佐久市前山にある曹洞宗の古刹で末寺27ヶ寺を有する大寺。山号は洞源山。大永元年(1521年)前山城主伴野貞祥公が創建。蓼科山麓の東にあって、佐久平の北には雄大な浅間山を臨むところに位置している。
苔がしっとりと生えている参道を登ると惣門、山門へと続き、本堂に至る。禅堂の奥の林には三重塔もあって、静かな境内には七堂伽藍が整う。参道の杉木立の中には島崎藤村の旧居が移築され、境内には、井出一太郎(三木武夫内閣の官房長官を務めた勤めた歌人政治家)が歌会始めの召人を務めた時の応制歌を刻んだ歌碑も建てられている。
31世岡本大鵬老師が澤木興道禅師と親交があったため、澤木禅師がたびたび貞祥寺で参禅会を開き、寺には「莫妄想」の他にも澤木禅師の書が多数残されている。現住職は32世岡本有光老師である。


第2回 東博と仏教寺院関係の特別展 【メルマガIDN 第77号 2005年 6月15日発行】
 東博でボランティア活動を始めた2002年(平成14年)4月以降、現在まで3年数ヶ月の間に開催された仏教・寺院関係の展覧会(特別展・特別公開・特集陳列)は、13回にも及び今後もさらに続きそうです。(別表に示す) 仏教と日本美術は極めて深い関係にあり、日本美術は仏教なくしては語れないということになります。
 これだけの展覧会を一般の方が、欠かさず見学するのには大変な努力が必要ですが、東博でボランティアをしていて最大のメリットは、こうした特別展を何回も見学できることです。時間があるときは、オーディオガイドを借りて、ゆっくりと拝見し、時間がないときは、展示室とか作品を絞ってみることができます。私の場合、各特別展を最低でも3回は見てきましたから、これまで40回以上足を運んだことになります。

 さらに東博では、閉館後にボランティアに対して、特別展を担当した研究員が解説会を開いてくれます。2時間ほどかけて研究員が丁寧に解説するのですから美術の授業を受けることと同じです。したがって、“門前の小僧”ではありませんが、“東博のボランティア、習わぬ日本美術史を覚える”ということになりそうです。ただ、シニアとしての悲しさは、“覚える”にまではいたらず、一度頭に入った事が留まらず、残念ながら直ぐに消えてしまうことです。
                              
 確かに、個人的には興味のある分野とない部分があります。しかし、これだけ見れば、頭の底に残るものもあれば、新たな発見も数多くありました。例えば、「唐招提寺展」は印象深く収穫の多い特別展でした。
 鑑真和上像は今後も拝見できるかも知れませんが、盧舎那仏は修復された金堂に収められてしまうと、東博の平成館のように目前に近寄って見たり、後ろに回って見ることは絶対にありえないのではないかと思います。二度と東京では見られない仏像なのです。そう思えば、足を運ぶ回数が増えるのも当然です。かつて、ただ読んだだけであった井上靖の名作「天平の甍」もこの展覧会を契機に何度も読み直してみました。そして新たな感動を覚えました。
 鑑真和上像(小説では鑒真)も小説を読む前と読んだ後では感激の度合いが全く異なったような気がします。平成館の大講堂で上映された映画「天平の甍」も、そのスケールの大きさに感激し、2時間半近くが瞬く間に過ぎたようでした。

 「寄木造り」とか「木屎漆(こくそうるし)」など、仏像彫刻のことばは、平成館1階で開かれた「親と子のギャラリー」の『盧舎那仏のひみつ』で学んだものです。芸大生が作成した「脱活乾漆造り」のプロセスは模型によってさらに理解を深めることができました。

 最新のコンピュータ・グラフィックスの技術を駆使したバーチャル・リアリティは、会場の10mの大画面一杯に広がる唐招提寺の画像は、鮮明そのもので迫力も満点、何度見ても飽きないものでした。

 東山魁夷の障壁画については、これまで3回拝見しています。
最初は群青と緑青の鮮やかな「山雲」「濤声」で(『唐招提寺障壁画展』昭和50/5/8〜5/13 東京 高島屋 日本経済新聞社主催)で
2回目は「揚州薫風」「黄山暁雲」「桂林月宵」など薄墨のもので、いずれもデパートでの展覧会でした。(『第二期唐招提寺障壁画展…水墨による中国山水』昭和55/2/26〜3/16 東京 三越美術館 日本経済新聞社主催)
第3回目は東京国立近代美術館での「東山魁夷展」(1981/8/14〜9/27)で、彩色と墨画の一部の展示でした。したがって、今回のように、御影堂を復元する形で障壁画と厨子絵の全点を拝見できたことは素晴らしいことでした。

これほど感激したり、学ぶことが多かった特別展は珍しいことです。金堂修復が終えた暁には一日でも早く唐招提寺へ行きたい思いで一杯です。

3年数ヶ月の間に開催された仏教・寺院関係の展覧会
開催期間 展示形式 展覧会名 会 場
2002/ 4/23- 5/19 特別展 雪舟…没後500年 平成館
2002/ 8/20-10/ 6 特別展 シルクロード…絹と黄金の道(日中国交正常化30周年記念) 平成館
2003/10/31-12/14 特別展 国宝 大徳寺聚光院の襖絵 平成館
2003/ 1/15- 2/23 特別展 大日蓮展(立教開宗750年記念) 平成館
2003/ 3/25- 5/ 5 特別展 西本願寺展(御影堂平成大修復事業記念) 平成館
2003/ 6/ 3- 7/13 特別展 鎌倉-禅の源流(建長寺創建750年記念) 平成館
2004/ 1/20- 2/29 特別展 南禅寺(亀山法皇700年御忌記念) 平成館
2004/ 3/ 2- 4/11 特別公開 法隆寺 国宝 夢違観音…白鳳文化の美の香り…
(十七条憲法制定1400年記念)
法隆寺
宝物館
2004/ 4/ 6- 5/16 特別展 空海と高野山   弘法大師入唐1200年記念) 平成館
2004/ 7/27- 8/22 特別公開 国宝 吉祥天画像(薬師寺東京別院落慶記念) 表慶館
2004/11/ 2-12/12 特集陳列 高貴寺所蔵 慈雲の書 本館
2005/ 1/12- 3/ 6 特別展 唐招提寺展…国宝 鑑真和上像と盧舎那仏・・・
(金堂平成大修理記念)
平成館
2005/ 3/ 8- 4/17 特別公開 中宮寺…国宝 菩薩半跏像… 本館特別5室
2005/ 9/21-10/16 特別公開 国宝 仏頭 (予定)
2006/ 2/21- 4/16 特別公開 国宝 天寿国繍帳と聖徳太子像 (予定)
2006/ 3/28- 5/ 7 特別展 最澄と天台の国宝 (予定)

 
第3回 東京国立博物館の「平常展」のススメ  【メルマガIDN 第78号 2005年 7月 1日発行】

 かつて東京国立博物館(東博)では、年一回、特別展が開催されていました。情報の乏しかったので、今年はどんな特別展が開かれるのかと“美術の秋”を待ち望んでいた頃が懐かしくなります。現在では、特別展の開催が多く、特別公開を含めると年間6回以上開催されるようになっています。したがって、展示替えのわずかな日時以外は常に特別展が開催されていて“美術の秋”ということばはもはや死語になりつつあります。

 

 ところが、東博に来ても、特別展のみを見て帰ってしまう来館者がほとんどのようです。その第一の理由は、特別展が年々大規模になって展示数が多いことです。人気のある特別展などでは入場制限がなされて会場に入る前から並ばされ、ようやく会場に入っても人混みに押されてゆっくり作品を鑑賞するなどとは程遠い有様です。人の混雑で疲れきってしまって、とても平常展までは足が向かなくなるというのが実態のようです。

 

 第二の理由は、東博の“平常展”のすばらしさが知れ渡っていないことです。それは、“平常展”と“常設展”と同じものだと混同している人が多いことに起因するようです。一般にいう美術館の「常設展」は、その館が所蔵する美術品を展示するのですが、東博はその所蔵品が11万件を超えて、文字通り桁違いに膨大です。個々の点数にすると100万点以上ともいわれています。

 東博の平常展での展示できる数は、展示スペースの関係から25003000件です。仮に毎月展示替えをしても、3440ヶ月、およそ3年をかけなければ東博のすべてを見ることはできない計算になります。

 

 昨年9月、東博は本館を日本美術の殿堂「日本ギャラリー」として、その展示方法を一新しました。階は“分野別展示”で、彫刻(仏像)、陶磁、金工、漆工、刀剣、民族資料など同じ分野の作品を一度に数多く見ることができます。階は“時代別展示”で、およそ12000年前に始まる縄文時代の土器、土偶から江戸時代の浮世絵まで、日本の文化と美術の流れを短時間で把握することができるようになりました。

 

 東博では作品保護の見地から、分野ごとに展示の期間が異なっています。例えば、浮世絵は4週、絵画・書跡は6週、陶磁などの工芸品は3ヶ月で、それぞれの分野で定期的に展示替えが行なわれています。

 正門を入って右手の東洋館(写真)は「アジアギャラリー」として、日本を除く東洋の美術、すなわち中国、朝鮮、その他アジアの優品が展示されています。

 

 特別展に来ても本館を見学する人はいても、この東洋館まで足を延ばす人は本当に数少なく残念な気がします。名品が多く展示されているにもかかわらず、法隆寺宝物館と同様、常に来館者が少ないところです。逆に見れば、東洋美術の愛好者にとっては、いつでもゆっくりと落ち着いて名品に巡りあえる東博の穴場だともいえます。

 毎年秋に特集陳列としての東洋館で開かれる「中国書画精華」は、平常展とはいえ決して見逃せない特別展級のものです。昨年は、梁楷の国宝「雪景山水図」、重文「李白吟行図」、李迪の国宝「紅白芙蓉図」、李氏の国宝「瀟湘臥遊図巻」、圜悟克勤の国宝「印可状(流れ圜悟)」といったように、国宝、重文クラスが勢ぞろいしていました。これほど恵まれた環境で中国の名画や書跡を堪能できる場所は他にはないのではないかと思います。今年の「中国書画精華」は、104日から1127日まで、東洋館の8室で開かれますので、今から楽しみです。

 

 東博の平常展は、安い入館料(一般は420円、満65歳以上の高齢者は無料)で、静かな雰囲気の中で、ゆっくりと名品に出会えることができるところです。もし、疲れたら、東洋館のレストラン「ラコール」あるいは、法隆寺宝物館の「ホテルオークラ・ガーデンテラス」で一休みして英気を養い、さらに見学を続ければ良いのです。

 また東博を訪ねたら、まずインフォメーションカウンターで「東博ニュースを」入手されることをお勧めします。隔月発行で無料です。しかも、色刷りも美しく東博の展示概要、イベントなど情報が満載です。

 さらに、詳しく最新の情報を知りたい方は、東京国立博物館のホームページをご覧ください。まず東博のホームページ(http://www.tnm.jp/)を開き、右上の「展示」をクリックし、さらに「平常展」をクリックします。本館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館別になっているので、好みの展示館をご覧ください。

 

 例えば、「茶の美術」の部屋を見たければ、「茶の美術」をクリックすると、本館2階の4室の場所が明示され、現在展示されている作品のリストが見られます。画像・解説という表示にある作品は、さらに写真と解説もついていて便利です。インターネットで目ぼしいもの、注目すべきもの、展示室などを予めチェックしておいて出かければ東博もより効率的に活用できるのです。

 特別展のないときに、一度東博にきて、本館でも、東洋館でもゆっくり歩いてみてください。数が多いので、自分の興味あるところだけ立ち止まれば良いのです。日本美術の本物に出会えます。そうすれば、きっと懐かしいもの、珍しいもの、思いがけないものに巡りあえることは確実です。東博とは、そんなところです。いつ訪ねても、新たなときめきを感じるところが東博です。


第4回 東博で陶磁を楽しむ  【メルマガIDN 第79号 2005年 7月15日発行】

 東博ボランティアのなかで陶磁の好きな人が集まって「陶磁エリアガイド」を行っています。毎週土曜日の午後2時30分から30〜40分程度、東博の本館1階の13室(陶磁展示室)で、難しいことばを使わずに分かり易く一般初心者向けに解説しようとするものです。ここには江戸と安土桃山時代に焼かれたおよそ40件の陶磁の名品が展示されています。

 

 昨年9月1日のリニューアル前には、陶磁は現在の彫刻〔仏像〕が展示されている部屋(11室)全部を使って約80件の陶磁が展示されていました。単純に比較すると、陶磁の展示スペースが狭くなって、展示件数も減ったかのように見えますが、東博で陶磁の展示されている部屋はこの13室のみではありません。

 現在、東博で、陶磁が4件以上まとまって展示されている部屋あるいはスペースを調べてみますと、驚くことに全館で17ヶ所もあり、展示されている件数も400件をはるかに上回っています。〔注:数え方が難しいですが、縄文・弥生土器は除いて、須恵器以降の陶磁が展示されている場所をカウントしました。〕*別表「東博の陶磁の展示室と主な展示品」を参照。

 

 6月の某日、この“東洋陶磁の教科書”を最初から最後まですべてを見るために要する時間と歩数を計測してみました。東博の建物は大きくて複雑です。無駄を極力なくして効率よく陶磁の展示されている部屋・スペースすべてを辿ってみようとしたわけです。

 まず、正門からスタートし、まず平成館に向います。平成館は特別展の開催時は混雑していますが、開催されないときは閑散としています。入って1階を右に折れると考古展示室です。ここでは、縄文土器から始まり、江戸時代まで時代毎の発掘品が数多く展示されています。

                           

 入口には、「時代を代表する4つの名品」として、有名な国宝「秋草文壷…神奈川県川崎市南加瀬出土」(慶應義塾蔵)も一番右端のガラスのケースに展示されています。そこを過ぎると、通史展示とテーマ展示に分かれますが、通史展示では、歴史時代のなかを奈良時代、平安時代、平安末〜室町時代、安土桃山〜江戸時代とわけて、各時代を代表する陶磁が次々に現れます。また、テーマ展示としては「須恵器の展開」として壷、甕、高坏をはじめ装飾付須恵器も勢ぞろいして壮観です。

 次に連絡通路を通って本館(日本ギャラリー)に入ります。この本館1階は昨年9月のリニューアルで“分野別展示”となったところです。まず右に折れて、近代美術(絵画・彫刻)の部屋(18室)を通り抜けると19室「近代工芸」となり、ここには東博としては最も新しい陶磁の作品が並びます。

 

 さらに、1階のエントランスホ−ル、第11室(彫刻)を超えて左に曲がると冒頭の第13室の陶磁展示室になります。ついで、第15室、ここは民族資料(アイヌ・琉球)の部屋ですが、現在は特集陳列「琉球の工芸」(9/11まで)として、厨子甕、壷屋焼などが展示されています。

 ここから、逆戻りして、13室の陶磁を再度復習し、名品を横目でみながら、正面のエントランスホールから2階へあがります。

2階は、昨年のリニューアルで“時代別展示”となり、4室の「茶の美術」と8室の「安土桃山・江戸…暮らしの調度…」に陶磁が展示されています。とくに「茶の美術」では、松永耳庵寄贈の茶道具の名品が並ぶことが多く狭いながらも楽しい空間です。

 

 さらに東洋館(アジアギャラリー)まで足を延ばします。この東洋館の建物は複雑で入り組んでいて説明が難しいところですが、効率よく陶磁を見歩くために、エレベータで3階に直行します。3階では北東アジア(朝鮮)の陶磁、2階は中国陶磁です。中国は陶磁王国だけに、「南北朝〜唐時代の陶磁」と「宋〜清時代の陶磁」と二つに分かれて展示されていますが、いずれも横河コレクションの名品をみることができます。

 中2階に下りると、そこにはクメール、タイ、ベトナムなど東南アジア、西アジア(イラク、シリア、イラン)、エジプトの陶磁までが展示されています。



 以上、東博で陶磁がまとまって展示されている場所をすべて歩き、東洋館を出て出発した正門にたどり着きました。作品を見ながら、ゆっくりと歩いて時間と歩数を計測しました。なんと1時間30分、4000歩でした。スタートするときには、決して立ち止まらないようにして、機械的に測ろうとしたのですが、見事に失敗でした。なぜかと言うと、東博には、陶磁愛好家を惹きつけて立ち止まらせるような魅力的な作品が多すぎるからです。

 

 東博は日本の陶磁に関しては時代別、代表的な窯別に殆どのものが網羅されていると言っても過言ではなく、日本を除くアジアの国々の陶磁も一覧できる唯一の場所ではないでしょうか。

 したがって、東博はわが国では、まさに本物が勢ぞろいしたもっとも素晴らしい東洋陶磁の教科書といえるわけです。しかも、これらの作品は3〜5ヶ月のローテイションで陳列替えが行われていますから、絵変わりによる飽きない教科書だと思います。

東博の陶磁の展示室と主な展示品

展示室 時代・テーマ 内 容 主な展示品 期 間
陶磁
展示
件数
開始 終了
平成館 1階 考古
展示室
時代を代表する
4つの名品
国宝「秋草文壷」
(慶應義塾蔵)
2005
/7/5

12/4
1
平成館 1階 考古
展示室
須恵器の展開  甕、壷、装飾付須恵器 2005
/6/7

12/18
34
平成館 1階 考古
展示室
奈良時代  唐から奈良、
奈良から地方へ
…唐三彩と奈良三彩 2005
/6/21

12/4
13
平成館 1階 考古
展示室
平安時代 平安貴族と律令国家 …青磁・白磁と緑釉・
灰釉陶器
2005
/6/21

12/4
39
平成館 1階 考古
展示室
平安末
〜室町時代
武家文化の台頭 …武家社会の焼き物・
中国陶磁と瀬戸焼
2005
/6/21

12/4
32
平成館 1階 考古
展示室
安土桃山
〜江戸時代
武家文化の成熟 …大名文化の華
…加賀前田家の国際性
2005
/6/21

12/4
41
本館 1階 19室 近代工芸 宮永東山、竹内吟秋、
錦光山宗兵衛、浅井一毫
2005
/6/14

9/19
5
本館 1階 13室@ 陶磁…室町後期
     〜江戸時代
銹絵観鴎図角皿
(光琳・深省合作)
2005
/6/7

9/4
38
本館 1階 15室 特集陳列
「琉球の工芸」
厨子甕 壷屋焼、 2005
/5/31

9/11
8
本館 2階 1室 日本美術のあけぼの ◎壷(弥生時代)、
◎長頸壷、火焔土器
2005
/3/1

9/4
4
本館 2階 4室 茶の美術 ○有楽井戸、
織部沓形茶碗
2005
/7/5

10/23
11
本館 2階 8室@ 安土桃山・江戸  暮らしの調度 伊万里、鍋島、
仁清、織部
2005
/6/21

9/11
12
東洋館 3階 第10室 北東アジアの陶磁 朝鮮の陶磁 2005
/6/7

12/4
52
東洋館 2階 第5室 中国の陶磁 南北朝
  〜唐時代の陶磁
2005
/5/10

9/4
41
東洋館 2階 第5室 中国の陶磁 宋〜清時代の陶磁  2005
/4/26

9/11
54
東洋館 1階 第3室 エジプト・西アジア エジプト、イラク、
シリア、イラン
2005
/4/19
2006
/3/12
43
東洋館 1階 第3室 特集陳列
「ベトナムの青花」
(安南染付) 2005
/7/12

10/2
7
東洋館 1階 第3室 東南アジアの陶芸 インドシア半島
(クメール、タイ、
ベトナム)
2005
/5/31

11/27
20
合計
455

■連載第5回 陶磁展花盛り(上) 【メルマガIDN 第80号 2005年 8月 1日発行】
 東博の桜が終わりを告げる頃、東京では、別の花が一斉に咲きだしました。別の花とは、陶磁の展覧会です。陶磁の展覧会が各美術館で次々と開催され、まさに“陶磁展花盛り”という状況でした。ことしの5月以降、現在まで、東博以外の美術館で開かれた陶磁の展覧会は10ヶ所近くになります。見学した順に辿ってみましょう。
(注:以下、文中の●は国宝、◎は重要文化財、○は重要美術品とします)
 
(1)出光美術館…テーマをきめて東洋陶磁展を継続して開催
 まず、5月3日、丸の内の出光美術館に行きました。ここでは『古唐津』『中国陶磁のかがやき展』『古九谷』と昨年来、陶磁の展覧会を継続して開催しているので、やきものファンにとっては、見逃せないところです。今回は『茶陶の源流…和のうつわ誕生…』というテーマで、古代の猿投窯から、中世の渥美窯、常滑窯、桃山の信楽窯、備前窯の焼き締め陶器、美濃の志野、織部、黄瀬戸、さらに楽代々の茶碗、江戸時代の光悦、仁清、乾山の京焼にいたるまで、各時代を代表するものを一堂に展示して、茶陶の流れを一覧できる見事な企画でした。

 当館を代表する仁清の◎「色絵芥子文茶壷」は当然のこと、●「秋草文壷・渥美窯」(慶應義塾蔵)、◎「樹木文壷・珠洲窯」、尾形乾山の◎「呉須金銀彩松波文蓋物」、本阿弥光悦の○「赤楽兎文香合」などの名品が並ぶという壮観なものでした。
 館内には谷口吉郎設計の茶室「朝夕菴」(ちょうせきあん)があり、その横には皇居の緑が一望できる休憩所もあり、給茶器が設けられているので自由にくつろぐこともできます。さらに縄文土器から江戸時代にいたる日本の主要な陶磁器の陶片を集めた陶片資料室もありますので、陶磁の勉強には最適の美術館でもあります。
 
(2)根津美術館…質量随一の“茶陶・茶道具”美術館
 5月20日には青山の根津美術館の『唐物茶入と瀬戸茶入』を見学しました。これまでも茶道具に関する充実した企画展を継続して開催してきましたが、今回は、唐物茶入が70点と瀬戸・薩摩・備前などの国焼茶入が30数点と全国の美術館から集めた茶入が一堂に会した感じの展覧会でした。
 ここは、初代根津嘉一郎(青山)が収集した茶道具、世界的に著名な中国商周時代の青銅器、仏教美術などその蔵品は7千点余りに及び、そのうち国宝7点、重要文化財84点、重要美術品96点と、まさに質量共に極めて充実し内容豊かな美術館です。
 根津美術館が誇る優品としては、●「那智瀧図」、尾形光琳の●「燕子花図屏風」をはじめ、伝牧谿筆の●「漁村夕照図」、●伝李安忠筆「鶉図」など宋元の絵画や墨跡、◎「青磁筍花生」や◎「青磁筒花生 銘大内筒」、永正銘の「古蘆屋松梅文真形霰釜」、◎「松屋肩衝茶入」、「黄瀬戸宝珠香合」、青井戸の名碗◎「柴田井戸」、「高麗茶碗 銘蓑虫」などのほか、仏教美術も内容の豊かなことで知られています。
 山の手線内の都心にありながら、閑静な庭園内には4棟の茶室が点在し、8席の茶席(弘仁亭・無事庵、一樹庵・披錦斎、斑鳩庵・清溪亭、閑中庵・牛部屋)は、それぞれ異なった趣があります。永年にわたり、11月3日(文化の日)に弘仁亭、一樹庵、斑鳩庵の3席で茶会(全慶應茶会)を開いてきましたので、美術館・庭園・茶席とも最もなじみ深い美術館です。来年4月以降は改築のため3年間も閉鎖されるそうで寂しくなります。
 
(3)五島美術館…名碗を網羅して展示
 6月5日には五島美術館に行きました。世田谷・上野毛の閑静な住宅街の中にある美術館で、昭和35年の開館以来、かよい続けている美術館のひとつです。東京急行電鉄の会長・五島慶太が収集した●「源氏物語絵巻」、●「紫式部日記絵巻」など日本と東洋の古美術品を所蔵しています。吉田五十八が設計した建物で、上野の日本芸術院、奈良の大和文華館と同様に日本的意匠を充分とり入れた趣あるものです。武蔵野の雑木林が多摩川に向って傾斜する台地にあって、約5000坪の庭園内には茶室「富士見亭」もあり、紅葉のころ茶室からの景観は素晴らしいの一語です。ここでは特別展『茶の湯・名碗…新たなる江戸の美意識…』を拝見しました。
 これは平成14年に開催された特別展『茶の湯・名碗…茶碗に花開く桃山時代の美…』の続編ともいうべきもので、両者合わせてみると、名碗が殆ど出揃ったといえるほど充実したものでした。根津美術館のほうは茶入が一堂に会したのに対し、こちらは高麗茶碗と和もの茶碗の優品が一堂に会したものといえそうです。
 
(4)松岡美術館…新橋から白金台へ移転して様変わり
 6月12日。6月にしては珍しく真夏の日差しを感じるような暑い日、余り期待もしないで松岡美術館を訪れてみました。というのは、かつて新橋のビル内にあった頃の松岡美術館は、東西、古今の美術がただ並べられていたという印象が強かったのからです。ところが創立者松岡清次郎の私邸跡地に平成12年に建てられたという新美術館は様変わりしていて驚きました。各展示室には多岐にわたるコレクションがわかりやすく分野ごとに整然と展示されていました。
 1階は常設展示ということで、古代オリエント美術(展示室1)、ヘンリー・ムア、エミリオ・グレコなどの現代彫刻(展示室2)、ガンダーラ・インド彫刻(展示室3)が展示され、ロビーにはブールデルの代表作「ペネロープ」(注:東京三菱銀行本店の1階ロビーにも同じものが置かれています。)が、壁面には古代ローマの大理石彫刻「ミネルヴァ」像が展示されていました。
 私の目的はこの1階ではなく、2階で開催されている企画展「中国青花展」(青花=染付)でした。かつて新橋ビル時代、雑然とした中でひときわ輝いていた「青花龍唐草文天球壷」は、それなりに立派な単独のケ−スに収められていました。整然と並べられた青花(染付)の名品の数々に見とれているうちに暑さもすっかり忘れ、すがすがしい気分となって立ち去り難いほど気に入ってしまいました。
 
 展覧会で疲れたら、近くにある「利庵」という蕎麦屋がお勧めです。腰の利いたそばを肴に、夏は程よく冷えたビールか枡酒で疲れは一掃です。疲れが取れれば、再び元気を取り戻して東京都庭園美術館にも伺えます。
ここでは8月25日まで前衛の陶芸作家の展覧会「没後25年・八木一夫展…陶芸の冒険・オブジェと茶わん…」が開かれています。

              最近開催の主な陶磁展(2005/5〜7)
美術館 所在地 テーマ 期間 内容・主な展示品 展示
件数
観覧料 見学
1 出光
美術館
東京
・丸の内
茶陶の源流
 …和のうつわ
誕生…
2005/4/23
-6/26
●秋草文壷、◎珠洲 樹木文壷、
◎仁清色絵芥子文茶壷、
灰釉一重口水指銘柴庵
130 800円 5/3
2 根津
美術館
東京
・青山
唐物茶入と
瀬戸茶入
2005/5/14
-6/24
◎初花肩衝(大名物)、
◎松屋肩衝(大名物)、
◎北野肩衝(大名物)、
◎瀬戸丸壷銘相坂(中興名物)
105 1000円 5/20
3 五島
美術館
東京
・上野毛
茶の湯 名碗
 …新たなる
江戸の美意識
2005/5/14
-6/19
◎雨漏堅手茶碗、◎雨漏茶碗銘長崎、
◎黒織部筒茶碗銘冬枯、
◎仁清色絵鱗波文茶碗、
小井戸茶碗銘忘水、
119 1000円 6/5
4 松岡
美術館
東京
・白金台
中国青花展 2005/4/23
-9/4
青花双鳳草虫文図八角瓶、
青花龍唐草文天球瓶、
52 800円 6/12
5 戸栗
美術館
東京
・松涛
館蔵 
古伊万里の
展開
…魅惑の作品類
2005/4/2
-6/26
伊万里染付椿鳥文鉢、
伊万里染付菊文瓢形瓶
114 1030円 6/17
6 日本
民藝館
東京
・駒場
九州の陶磁 2005/4/5
-6/26
江戸時代の日用雑器・・・
伊万里、唐津、波佐見、小石原、
小鹿田、小代、苗代川、種子島
150 1000円 6/17
7 松涛
美術館
東京
・松涛
會田雄亮展
…変貌する
陶土・・・
 (練込・陶壁
・モニュメント)
2005/5/31
-7/18
練込作品(食器セット)・
陶壁・陶織・モニュメント
180 300円
(60歳
以上
無料)
6/17
8 静嘉堂
文庫
美術館
東京
・岡本
京のやきもの
 …仁清、
乾山、楽代々…
2005/6/11
-7/31
◎仁清「色絵吉野山図茶壷」、
◎仁清「色絵法螺貝香炉」、
仁清「白鷺香炉」、
乾山「色絵和歌三首短冊皿」、
長次郎「黒楽茶碗銘風折」
91 800円 7/2
9 大和
文華館
奈良
・学園前
朝鮮陶磁
…自然から
    生れた美
2005/7/8
-8/21
◎青磁九龍浄瓶、青磁象嵌唐草文瓶、
粉青象嵌蓮池三魚文扁壷、
辰砂蓮華文八角瓶
87 600円 7/20
10 永青文庫 東京
・目白台
熊本のやきもの
…八代焼
2005/6/28
-8/31
牡丹文象嵌筒茶碗、
牡丹文象嵌耳付水指、
藤花文象嵌茶碗、三島写茶碗
60 600円 7/27


■連載第6回 陶磁展花盛り(下) 【メルマガIDN 第81号 2005年 8月15日発行】
前回よりの続き
(注:以下、文中の●は国宝、◎は重要文化財、○は重要美術品とします)
 
(5)日本民藝館…民藝運動の総本山
 6月17日は、欲張って3館を訪ねました。
最初は、駒場の日本民藝館です。本館、西館の建物とその収蔵品は、創立者で初代館長の柳宗悦(やなぎ・むねよし)の民藝に対する考えが集約されていて、階段とか床の感触もやわらかく、昔にタイムスリップしたような懐かしさをおぼえるところです。その収蔵品は民衆的工藝品に美の基準を置き約一万点だとのことですが、今回は特別展『九州の陶磁』が開かれていて、朝鮮陶磁の影響を受けて、様々な技法を用いて特色ある焼物が展開された九州各地の陶磁で、江戸時代の日用雑器を中心に、伊万里、唐津(佐賀県)、小鹿田(大分県)、小代(熊本県)、苗代川、種子島(鹿児島県)など約150点が展示されていました。
 
(6)松濤(しょうとう)美術館…区立美術館ながら斬新な発想の企画展示
 2番目は渋谷区立松濤美術館です。1981年開館した当館は、静岡市立芹沢_介美術館と同じ白井晟一(せいいち)の設計で、石を活用して、中央吹き抜けに池と噴水があり、水の醸し出すくつろいだ雰囲気の中で作品を愉しめるところです。
 ここでは『會田雄亮展…変貌する陶土…』を見ました。會田雄亮(あいだ・ゆうすけ)は色の異なった粘土を重ねて紋様を作り上げる練込(ねりこみ、練上げ…ねりあげ…ともいう)で有名な陶芸家ですが、コーヒーセットのような食器をはじめ、陶板・陶壁、さらには野外のモニュメントにいたるまで、これが陶芸なのかと眼を疑うような作品が展示されていました。極めて緻密な計算の上に立って鍛え抜かれた伝統の陶芸の技法を駆使した作品にはただ驚くばかりでした。
 
(7)戸栗美術館…伊万里・鍋島を中心とする陶磁器専門の美術館
 この日の最後は、戸栗美術館で、伊万里・鍋島の肥前磁器と中国・朝鮮の東洋陶磁器を約7,000点所蔵する都内でもめずらしい陶磁器専門の美術館で『館蔵・古伊万里の展開…魅惑の作品群…』が開かれていました。国宝とか重文のようなものはありませんが、展示室の3室は伊万里の種類、形、技法が分かり易く展示され、さらに特別展示室には、染付、色絵の製作過程を紹介するなど、まるで伊万里に関する総合的教科書といった感じでした。
 以上の3館は共に、建物、展示されている陶磁そのものも全く異なるタイプでしたが、1日で和食、中華、洋食を堪能した気分でした。しかも、近くの旧前田侯爵邸のある駒場公園、美術館まである東京大学教養学部の構内も散策できましたので、都内でも有数の文化の香り高いところを歩いたことにもなりました。
 
(8)静嘉堂文庫美術館…すべて館蔵の優品で展示を貫く
 7月2日には、静嘉堂文庫美術館に行きました。ここは、三菱第二代社長の岩崎彌之助と第四代社長小彌太の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財82点を含む20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品を収蔵しています。その収蔵する京焼コレクションの中から、仁清の◎「色絵吉野山図茶壺」をはじめ、古清水の優美な意匠の色絵陶、江戸後期から幕末の京都を彩った仁阿弥道八や永楽保全・和全父子などの茶碗・懐石道具・煎茶器などを、初公開品も含め紹介し、さらに楽家代々の茶陶も展示していましいた。
 訪れたのは『京の焼き物…仁清・乾山・楽代々…』を見るほか、荒川正明氏(出光美術館主任学芸員)の講演会「京焼・華麗なるうつわ ―仁清・乾山・古清水を中心に―」を聴きたかったからです。いつもなら米山寅太郎理事長の丁重なご挨拶に始まり、明快な荒川氏の講演で充実した一日を送ることができました。
 
(9)大和文華館…初代館長矢代幸雄氏の執念の蒐集
 7月20日は京都・奈良散策の一環として大和文華館に足を延ばしてきました。当館は昭和35年近畿日本鉄道(株)の創立50周年記念として奈良市学園南の閑静な地に建てられ、初代館長矢代幸雄氏が蒐集した日本および東洋の美術品を収蔵し、現在では国宝4件、重要文化財31件を擁する美術館です。美術館の建物は五島美術館と同じ吉田五十八の設計です。土蔵や城郭をイメージした海鼠壁(なまこかべ)、竹の中庭のある数奇屋風の展示室が特色だといわれています。大和文華館で拝見したかったのは●「寝覚物語絵巻」、◎「佐竹本三十六歌仙絵巻・小大君」など旧原三溪コレクションでしたが残念ながらこれらは展示されていませんでした。」
 当日は特別展『朝鮮陶磁…自然から生れた美…』が開催中でした。朝鮮陶磁63点を中心に関係するタイ、ヴェトナム、イランの陶磁、さらには東洋陶磁の影響が及んだデルフト、マイセン、イギリスなどヨーロッパ各窯の作品も展示されていて、改めて大和文華館のコレクションの奥深さを思い知らされました。気温が30度を超える炎天下のためか、訪れる人影もなく、同行した旅行仲間の知人と私だけの二人だけで、久しぶりに朝鮮陶磁の数々をゆっくりと堪能することができました。
 
(10)永青文庫…「美術の殿様」の蒐集品
 陶磁展シリーズの最後は7月26日の永青文庫です。
目白通りを少し入った目白台の自然の面影を残す林の中に永青文庫は建っています。意識していないと通り越してしまいそうなところです。この一帯は細川家の広大な屋敷跡で、都心とは思えない自然が残っていて、近くには旧細川侯爵邸(和敬塾本館)、蕉雨園(旧田中光顕伯爵邸跡)、関口芭蕉庵、椿山荘(旧山縣有朋公爵邸跡)、講談社野間記念館、東京カテドラル聖マリア大聖堂、新江戸川公園(旧細川家下屋敷跡)など歴史と文化の見所が集中している都心の散歩コースでもあります。
 七百年余の伝統を誇る旧熊本藩主細川家に伝来する歴史資料や絵画、茶道具、陶磁など美術品等を基本に「美術の殿様」といわれた16代藩主細川護立氏のコレクション4500点を収蔵しているのがこの永青文庫です。
 訪問した日は夏季展として『熊本のやきもの…八代焼(やつしろやき)…』が開催中でした。展示品は、細川家の御用窯として作った茶陶が中心で、薄緑地に白土で象嵌(ぞうがん)を施すのが特徴とのことです。ここも入館者は私ひとりだけ、足音だけが館内に響く静寂の中で、先日、京都で訪問した細川家歴代の墓所のある大徳寺高桐院を思い出しながら、なんとなく気品を漂う作品を拝見できました。かつて、護立氏の孫・護煕氏が、首相を引退してから趣味として作陶を志し、その成果として作陶展を日本橋「壷中居」で開いたことがありました。そこに展示されていた井戸茶碗、楽茶碗などは、とても作陶3年目とは想像できないほどの形、色合いとも永年作り続けてきた陶芸家の作品のような出来栄えだったことを今でも覚えています。細川家には代々、千利休の高弟のひとり忠興(三斎)以来、美術の対して深い洞察力と創造力が延々と底知れず流れている証かもしれません。
 
 これほど頻繁に多くの陶磁展が開かれるのは日本人が本当にやきものが好きな国民なのでしょうか。これだけ見ても、見学できなかった陶磁展がこのほかにいくつもあります。いずれにせよ、この3ヶ月は“やきものファン”の私にとって、本当に素晴らしい3ヶ月間でした。古いものから新しいもの、窯別、産地別のいろいろなやきものを思う存分見学できたからです。
 東博で東洋陶磁の概論・大筋をつかみ、それ以外の美術館で各論・詳細を学ぶ……こんな繰り返しをこれからも続けたいと思っています。
         開催中・開催予定の主な陶磁展(終了期日順)
美術館 所在地 テーマ 期間 内容・主な展示品 展示
件数
観覧
見学
1 大和
文華館
奈良・
学園前
朝鮮陶磁
…自然から生れた美
2005/7/8
-8/21
◎青磁九龍浄瓶、
青磁象嵌唐草文瓶、
粉青象嵌蓮池三魚文扁壷、
辰砂蓮華文八角瓶
87 600円 7/20
2 東京都
庭園美術館
東京・
白金台
没後25年 八木一夫展
…陶芸の冒険 
オブジェと茶わん…
2005/7/2
-8/21
「オブジェ焼」(従来のやきものとは
一線を画した、
用途をもたないやきもの)

1000円
3 出光
美術館
東京・
丸の内
やきものに親しむW
中国・磁州窯
…なごみと味わい…
2005/7/2
-8/28
◎白地黒掻落牡丹文梅瓶、
◎白地黒掻落龍文梅瓶、
◎緑釉白地黒掻落牡丹文長頸瓶、
白地黒掻落鵲文枕、
赤絵魚文碗、
緑釉掻落牡丹唐草文瓶、
125 800円 8/7
4 永青文庫 東京・
目白台
熊本のやきもの…八代焼 2005/6/28
-8/31
牡丹文象嵌筒茶碗、
牡丹文象嵌耳付水指、
藤花文象嵌茶碗、三島写茶碗
60 600円 7/27
5 松岡
美術館
東京・
白金台
中国青花展 2005/4/23
-9/4
青花双鳳草虫文図八角瓶、
青花龍唐草文天球瓶、
52 800円 6/12
6 愛知県
陶磁資料館
瀬戸市 愛知万博記念特別展
桃山陶の華麗な世界
2005/3/21
-9/25
●卯花墻、●青磁花入萬声、
●油滴天目◎黒楽茶碗 銘俊寛
◎赤楽茶碗 銘無一物
◎青磁輪花茶碗 銘馬蝗◎峯紅葉
◎山端
◎鼠志野鵲鴒文鉢  

1000円
7 サンリツ
服部美術館
諏訪市 開館十周年記念展
日本・東洋の美
…陶磁器編…
2005/7/16
-10/16
●白楽茶碗 銘不二山、
◎玳皮盞天目、
黒楽茶碗 銘雁取 長次郎作

800円
8 五島
美術館
東京・
上野毛
秋の優品展
…絵画・墨蹟と
李朝の陶芸…
2005/9/3
-10/23
○井戸茶碗 銘美濃、
粉引酢次茶碗 
銘呉竹、熊川茶碗 銘千歳、
柿の蔕茶碗 銘青柿
●紫式部日記絵巻、

700円
9 出光
美術館
東京・
丸の内
京の雅び・都のひとびと
…琳派と京焼…
2005/9/3
-10/30
仁清 色絵鳳凰文共蓋壷
800円
10 東京国立
博物館
 表慶館
東京・
上野
特別展
華麗なる伊万里・
雅の京焼
2005/10/4
-12/4
◎仁清 色絵鱗文茶碗、
◎光琳・乾山合作 銹絵布袋図角皿、
色絵松帆掛船文皿

未定
11 松岡
美術館
東京・
白金台
古伊万里展
…古九谷・柿右衛門・
金欄手…
2005/9/10
-12/24
色絵唐人物図大壷、
色絵楼閣美人図大皿、
色絵牡丹樹木図大皿、
色絵花鳥文六角壷、
色絵芭蕉図輪花鉢

800円
第7回 東博絵巻物語
遣唐使展→唐王朝
 現在、東京国立博物館の平成館では、特別展「遣唐使と唐の美術展」(2005/7/20〜9/11)が開かれ、猛暑にもかかわらず見学する人でにぎわっています。
 遣唐使は、古代日本が国の総力を挙げて取り組んだ、いわば「中国派遣国際使節団」で、7〜9世紀にかけて10数回派遣され、最盛期には船4隻を連ねて500人もの一団で渡航したともいわれています。
 井上靖の「天平の甍」でもその状況が著されていますが、航海術が未熟の時代に、往復の途中、台風に遭って船が難破したり、病気や怪我で命を落とすことも多く、無事に日本に帰還できたのは6割だといわれていますので、現在のスペースシャトルと比べてもはるかに危険度の高い過酷な冒険だったといえましょう。

 昨年、西安市で「井 真成」(せい・しんせい)の墓誌(故人への哀悼のことばと生前の経歴を刻んだもの)が発見されました。井真成という人については、わが国の歴史を叙述した書物には記載がないため、いつどこで生れたのか、また誰を指すのか判っていないようです。
 この墓誌には、井 真成が日本から唐に渡って唐王朝につかえ、将来を嘱望されながら36歳の若さで734年に急逝し、かの有名な玄宗皇帝から「尚衣奉御」(しょういほうぎょ)という官職を追贈されたことが記載されています。また、日本という国号が文字によって記載された最古の実物記録だともいわれるだけに、これは大変貴重な資料だといえます。

 周辺の関連資料からみて井真成は、安倍仲麻呂、吉備真備(きびのまきび)、玄ム(げんぼう)らと共に717年(養老元年)唐へ渡ったと推定されているようです。玄宗皇帝に重用され、日本に帰ることなく唐の国で亡くなった安倍仲麻呂の墓誌はいったいどうなっているのか知りたいところです。というのは、井真成よりも遥かに高い地位(唐では秘書監といって国立図書館長に相当するポスト)にあった安倍仲麻呂の墓誌には、相当詳しい記述がなされてるのではないかと思われるからです。

 なお、この特別展では、遣唐使の目に触れたと思われる精巧極まる金銀器をはじめ、彩色豊かな唐三彩などの陶磁器が展示されていて、華やかな唐文化の至宝の数々に触れる事ができます。
 
唐王朝→玄宗皇帝→長恨歌
 遣唐使が行き来した唐の時代(618〜907年)は、長安(現在の西安市)に都を置き、充実した国力を背景に、シルクロードを経由してもたらされる西洋文化をも吸収して文化的に隆盛を極めた時代でもあります。     
 美術工芸以外の分野では、書の顔真卿、李白、杜甫、王維、白楽天(白居易)などの詩人を多数輩出した時代ですが、やはり私は中唐の詩人、白楽天が大好きです。白楽天といえば「長恨歌」(ちょうごんか)です。これは、玄宗皇帝(712〜756年の45年間在位)と楊貴妃のロマンス・恋物語で、西暦805年、白楽天35歳の作といわれています。

 「漢皇 色を重んじて 傾国を思う、御宇 多年 求むれども得ず、……」で始まり、最後は有名な句「七月七日 長生殿、夜半人無く 私語の時、天に在りては 願わくは作らん比翼の鳥、地に在りては 願わくは為らん連理の枝、天長地久 時有りて尽きんも、此の恨みは綿綿として尽くる期無し。」で終る七言120句、840字の長編叙事詩です。この詩は、中国でも類まれな甘美な詩、白楽天の中でも最も美しい詩といわれ、中国ではもとより、日本でも清少納言、紫式部以来、古くから愛誦されてきているものです。  

長恨歌→松花堂昭乗「長恨歌詩巻」→益田鈍翁
 じつは、松花堂昭乗(1584-1639)が揮毫した「長恨歌詩巻」が、本館2階の8室‐A「書画の展開…安土桃山・江戸…」(8/2〜9/11)に展示されています。
 松花堂昭乗(滝本坊昭乗)は、近衛信尹(のぶただ)、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」といわれた能書家で、この書は、慶長19年(1614)、松花堂昭乗が近衛信尋(のぶひろ)公の命を受け畢生の力を揮ったもので、その序文と本詩の冷静沈着な筆致は松花堂を代表する名跡ともいわれています。
 この一巻は、その所有者が、高橋箒庵→岩原謙庵→益田鈍翁を経て現在、東京国立博物館の収蔵品となっていますが、その移動に関しては次のような興味深いドラマが展開されていたのです。大正7年(1818)4月5日、高橋箒庵の蔵品入札会で、のちに東芝の社長になった岩原謙庵(謙三)が、この巻を3129円で落札しました。 

 じつは、弘法大師の流を汲む松花堂の書跡にかねてよりご執心の益田鈍翁は、この詩巻の入札を実弟の益田紅艶に委託してあったのですが、鈍翁の指値よりわずか10円高い価額で、謙庵の手に落ちてしまったわけです。謙庵にしてみると、この道へ先導していただいた先輩の鈍翁を出し抜いたことで得意満面でした。
 ところが、一ヶ月もしないうちに、謙庵がようやく手に入れたこの書跡を鈍翁に渡さなければならないような“事件”が起きたのです。それは、同年4月29日、品川御殿山の鈍翁邸内の為楽庵で住友総理事 鈴木転庵(馬左也)を正客とする茶会が催され、謙庵も次客として出席したときのことです。

 茶席での話題がたまたま松花堂昭乗の「長恨歌詩巻」に及び、先の入札会での経緯を知らない相客の大口周魚(本名は鯛二、歌人・書家、「本願寺本三十六人家集」の再発見者)が「松花堂の墨蹟中の圧巻」だと激賞したので、謙庵は内心では大得意の反面、鈍翁は苦りきった顔つきで大失意だったようです。
 茶事が終って、道具拝見の際、当日使われた本阿弥空中作の挽臼形水指「銘 園城寺」の蓋を謙庵が誤って落として割ってしまったのです。大きな透かしを開けたこの共蓋は、水指本体との合口が僅かで、置く場所によっては内側に滑り落ちる危険のあるものだったようです。謙庵は先輩の鈍翁に睨まれて顔面蒼白。相客も咄嗟のことで発することばもなく、茶室内に重苦しい冷気が走りました。

 このとき、機転に富んだ紅艶が、「割れてしまったものは仕方が無い。あの長恨歌の一巻を、只とはいわぬ、入札原価そのままで、潔く鈍翁に譲ったらどうでしょうか。」と、謙庵に対しては助け船でしたが、呈のいい巧妙な召し上げ策を提案したのでした。謙庵は恐縮千万の折から、「それですむのなら」と不承々々これに服し、茶席内にようやく安堵の空気が蘇りました。
すると、紅艶は色紙と筆を求め、一気に書き上げたのです。
    空中でテッペンかけたほととぎす
 ほととぎすの鳴き声が聞こえそうな春の宵。空中斎の水指の破損に懸けた諧謔に一同が感心していると、今度は、亭主の鈍翁が筆を取って、脇の句を添えました。
    長き恨みの夢や覚むらむ
 こうして、謙庵がせっかく手に入れた松花堂の一巻は、一ヶ月を待たずして鈍翁の手に移り、鈍翁にしてみれば、永年の夢が晴れて現実のものとなったのです。

 これには、後日談があります。この破損事件後、しばらくして鈍翁から、高橋箒庵に6月6日、御殿山の幽月亭での茶会のお誘いがありました。その席に、件の空中水指が登場したのです。鑑識眼の優れている箒庵が、近寄ってどこから眺めて見ても、過日、謙庵が破損したという痕跡は全く見当たりません。不思議に思った箒庵が、割れた共蓋はどうしたのかと尋ねたところ、席主の鈍翁は「近来の修復技術はすばらしい。破損した痕跡を留めないほど精妙で驚くばかりである」と。
 これを後で聞いた謙庵は、それならあの時あわてて「長恨歌詩巻」を譲る事はなかったと悔やんだが後の祭り。謙庵のこの恨みは以後も綿々と続いたことでしょう。

 ただ、伝来を重んじる茶道具ですから、たとえ一ヶ月弱とはいえ謙庵が所有した事は事実であって、この松花堂の一巻の所有者としての伝来の歴史には、箒庵→謙庵→鈍翁と、謙庵の名前は二人の大数寄者の間に残っていることは確実です。
 
益田鈍翁→応挙館→平家納経→模写・模造と日本美術展
 ところで、この主役の益田鈍翁が寄贈した「応挙館」が東博庭園内にあります。ここは、歌仙絵巻の最古最優の佐竹本三十六歌仙絵巻が切断された会場として、また大寄せ茶会「大師会」の発端となった席として知られていますが、厳島神社が所蔵する装飾経の最高傑作「平家納経」三十三巻の模本作成のための寄付金集めの会場であったことは余り知られていません。 

 大正9年4月21日の大師会で、模本を作成するため厳島神社から特別に「平家納経」の原本を借り出し、64万円の寄付を募りました。僅か半日で満額が集まったということですから、当時の経済界における鈍翁の威力がいかに絶大だったかが想像できます。この資金を元に田中親美が数年かけて精巧きわまる模写を完成し、大正14年(1925)11月には東博表慶館において、原本と共に展示されました。

 その模写された「平家納経」は、現在東博の平成館で開催中の「模写・模造と日本美術…うつす・まなぶ・つたえる…」(2005/7/20〜9/11)に展示され、その華麗な装飾経の片鱗を見る事ができます。さらに、その横には、料紙を使った最も華麗な冊子「本願寺本三十六人家集」の模本も並んでいます。

 こうして見てきますと、東京国立博物館の美術品に関係する所蔵者、数寄者間に次々に展開された東博絵巻物語こそ“綿々として尽くるとき無し”ということでしょうか。
 東博とは、湧き出でる泉のごとく楽しみが尽きないところなのです。


■第8回 東博での「フランス美術展」の思い出
 私の手元にある東京国立博物館の特別展の図録で最も古いものは、昭和35年の「日本国宝展」(1960/10/2〜1/6)です。変形のB5版で、高山寺の鳥獣人物戯画の表紙で、カラー刷りはわずか4枚のみで、定価230円というものです。翌昭和36年の「中国宋元美術展」(1961/4/22〜5/21)も見てはいるものの、いずれも興味が薄かったのか正直のところ記憶に残っていません。

 その年の秋開かれた「ルーブルを中心とするフランス美術展」(1961/11/3〜1/15)があまりにも強烈な印象だったからです。当時は、もちろんインターネットはありません。テレビも白黒の時代でしたから、頼りになる情報源は、僅かに新聞と雑誌に限られていました。
 大学に入ったばかりで、時間にも余裕があったので、この展覧会を主催した朝日新聞を丹念に読みました。ただ読み捨てるだけではと思い、「フランス美術展」という文字が目に止まれば、単に朝日新聞ばかりではなく、「日本経済新聞」「アサヒグラフ」「芸術新潮」、更には週刊誌の「女性自身」に掲載された記事まで集め、少し厚手のスクラップ帳を購入して丁寧に貼り付けました。

 すでに40年以上も経過していますから、周りが褐色に変わって、他人が見れば目を背けるほど埃にまみれ古びたスクラップ帳ですが、私にとってはフランス美術展の記憶を蘇らせるかけがえのない宝物なのです。
 この展覧会は、フランス美術史のなかで「黄金の百年」といわれる1840年から1940年までの一世紀間の油絵、彫刻、版画など478点が、東博本館29室に展示されるということで当時としては画期的なものでした。
 ルノワール、マネ、ミレー、ピカソ、ブラックをはじめ、マチスの色彩豊な「装飾模様の中の人物」の大作(130×98cm)があるかと思うと、ドーミエの「弁護士」のように小粒のもの(22×16cm)もありました。ボナール、ヴィヤール、マルケ、モリゾー、カリエールなどもこの展覧会をキッカケとしてなじみ深くなった画家が急に増えたのも事実です。気に入ったセザンヌの「青い花びん」、ユトリロの「コタンの袋小路」は絵葉書を買って色あせるまで机の上に飾っておいたほどです。
 今では、国立西洋美術館や東京芸術大学の構内で気楽に見ることができるロダンの代表作パジャマ姿の「バルザック」も当時は新鮮でした。

 しかし、何よりも強烈な先制パンチを受けたのはドラクロアの「狂えるメディア」でした。最初の部屋(多分、現在の本館1階の11室…彫刻…だと思います)に入ると真っ赤なビロードの壁面に金色の額装の「狂えるメディア」が迫ってきたからです。ドラクロアの代表的大作「キオス島の虐殺」「サルダナバロスの死」「民衆を導く自由の女神」などは、その後ルーヴル美術館で見ることができましたが、私にとってはこのドラクロアが最初の衝撃的な出会いでした。ドラクロワは、好んで劇的な場面に取り組み、その情熱をキャンバスに展開したといわれています。

 若い娘に心を惹かれた夫イアソンへの憎しみから、次々に愛児を血に染めて行くメディア。短剣を振りかざすメディアの顔を横切る影が、険しい表情をより効果的に表現し、何も知らないあどけない子供の目とは対照的でした。このギリシャ神話を題材とする絵がなぜか脳裏に焼きついていました。
 絵そのものが素晴らしいことはもちろん、その展示・演出の効果も良かったうえに、何回かスクラップを繰り返して読んだことなどが印象づけたのではないかと思います。

 今年の夏、この「狂えるメディア」に図らずも再会できたのです。
 6月27日、近代数寄者のひとり・原三溪の集めた建物を訪ねてみようと横浜の三溪園へ行った帰り道、閉館時間に間に合ったので急に横浜美術館の「ル−ヴル美術館展」に立ち寄ってみました。
 あちこちに貼られている「ルーヴル美術館展」のポスターやチラシは、フランス国外初公開という、アングルの「トルコ風呂」一色でした。
会場に入って驚いたことに、なんとドラクロアの「狂えるメディア」(横浜展では「怒りのメディア」と表示)が展示されていたのです。44年ぶりの再会でした。激しい迫力ある作品にめぐり会えて、懐かしさの余り、しばらく立ち去ることができませんでした。

 東博での展示では、暗い最初の部屋に入るや、真っ赤なバックにスポットを浴びたドラクロアがいきなり眼前に飛び込んできたのに対し、横浜では明るい部屋に展示されていたので、受ける印象は全く異なるもののようでした。
 家に帰って、色あせたスクラップを埃をたてないようにして読み直して見ますと、東博での作品の飾りつけは、当時パリ近代美術館次長であったベルナール・ドリバル氏の総指揮の元に行われたことがわかりました。
 ドリバル氏は、日本人にいかに好印象を持ってもらうか入念に検討し、年代別、流派別に展示室ごとに壁面の色彩、材質を変えたようです。あまりに強烈な色彩の展示室もあって批判的な見方も出されたようですが、単に名画を数多く集めるのではなく、細心を払って名画、名品を展示しようとした斬新な展覧会でもあったようです。

 また、今ではお馴染みのヘッドフォンで会場の名品の解説をきくオーディオ・ガイドも「美術鑑賞器」という名前で初登場したとか、昭和天皇、皇后両陛下が開会式に先立ってご覧になられたとか、出品される美術品は、飛行機ではなく船で一ヶ月近くかけてマルセイユから横浜まで輸送された……など、楽しい記事も多く、時の過ぎるのも忘れて読み通してしまいました。

 こうして古い資料が、ただ懐かしいというだけではなく、思いがけず時を経て役立つことが判りました。これからは、新聞、雑誌から切り抜いたスクラップの山の中から掘り出しものを探し出すことをシニアの愉しみの一つとしてみたいと思います。

■第9回 上野の杜の建物よもやま話(1)
 上野の杜は、東京国立博物館を中心に美術館、博物館、図書館、コンサートホールの文化施設のほか神社、仏閣など歴史的に貴重な建物、重要文化財に指定されている建物、有名建築家の設計による建物のほか、史跡、旧跡が数多く集積し「歴史の箱庭」とか「建物総合博物館」ともいわれています。
これらの建物をより理解するために、まず上野の杜の歴史について触れてみます。
 
上野の杜は寛永寺に始まる
上野の杜の歴史は、寛永2年(1625年)寛永寺が建てられたことにより始まります。寛永寺は徳川3代将軍家光が、江戸城の艮(うしとら:北東の方向)の鬼門を鎮座するために天海僧正(1536-1643)に命じて建てた天台宗の寺です。山号は「東叡山」といい、東の比叡山という意味から命名されました。
 寛永寺の山主は、代々(三代目以降)天皇家から門跡に就任されるほど寺院としての寺格も高く、年号を寺名として勅許された寺は、寛永寺のほかは、延暦寺(比叡山:延暦4年<785年>、滋賀)、仁和寺(大内山:仁和2年<886年>、京都)、永久寺(内山:永久年間<1113-7年>奈良、明治7年廃寺)、建仁寺(東山:建仁2年<1202年>、京都)、建長寺(巨福山:建長5年<1253年>、鎌倉)のわずか5寺のみです。
江戸時代、上野はこの強大な寛永寺の門前町として発展し繁栄してきました。ところが、慶應4年5月の彰義隊の乱・戊辰戦争で、上野の杜は主戦場となり、壮大な本堂を初め伽藍のほとんどが焼失してしまいました。
 明治になって、この上野の山は大学病院の建築が予定され、そのために上野を視察したオランダの一等軍医ボードワン博士は病院建設を取り止めて西欧都市の見られるような公園にすべきだとの提言をされ、これが受け入れられて上野公園が誕生したわけです。ボードワン博士は、上野公園の生み親として称えられ、その胸像は噴水池の西側の林に建っています。
 この上野公園は、正式には「上野恩賜公園」といい、芝(増上寺)、飛鳥山、浅草(浅草寺)、深川(富岡八幡宮)とともに、わが国の公園第1号でもあります。
 
京の清水寺、東の清水観音堂
 上野の山の建物を効率よく一巡するために、JR上野駅の「しのばず口」から出発して回ることにします。京成上野駅に向って進み、広い階段を昇ると西郷隆盛銅像の広場に出ます。そこで最初に出会う建物は清水観音堂(きよみずかんのんどう)です。
 これは、家康、秀忠、家光と徳川三代将軍の信任が厚かった天海僧正が寛永8年(1631年)建立したもので、京都の清水寺を模して不忍池を琵琶湖に見立て、池に面した本堂正面は舞台になっています。本尊の木千手観音菩薩は恵心僧都作で、脇仏は「子育て観音」として知られ、毎年9月25日には「人形供養」が行われています。本堂、本尊は重要文化財に指定されています。
 博物館、美術館へ行くのに、ほとんどの人がJR上野駅の公園口か、あるいは桜並木のなだらかな道を利用していますので、重要文化財に指定されているこの清水観音堂をともすると見過ごしてしまいますが、たまにはちょっと寄り道をしてこちらのコースを行くと目新しい発見があって楽しいものです。 
 
MoMA展を連続開催の上野の森美術館 
 上野の森美術館は、財団法人日本美術協会の美術展示館を改装(設計:中山克己)して、昭和47年4月に開館しました。現在、常陸宮殿下を総裁に戴く日本美術協会は、明治12年、日本で最初に設立された由緒ある美術団体だとされています。 開館以来、ここでは重要文化財の公開をはじめ国際展や多くの企画展を開催してきました。
 そのなかで、特に印象に残るのはMoMA展(ニューヨーク近代美術館展)です。ここでは、1993年に第1回展を開催したのを皮切りに、1996年に第2回展を、2001年には第3回展を開催し、ピカソ、マチスを初めニュ−ヨーク近代美術館が所蔵する近代絵画・彫刻の名品を展示してきました。第1回の時は、人気も上々で延々と続く長蛇の列で入場するまでに随分時間がかかったのことは、懐かしい思い出となりました。
 また、画壇への登竜門として定評のある春の「上野の森美術館大賞展」、夏の「日本の自然を描く展」、とユニークな企画を展開しているのもこの美術館の特徴です。さらに、箱根・彫刻の森美術館や美ヶ原高原美術館との連携した企画展も開催するなど他の美術館とは異なる独自の活動を続けている美術館でもあります。
 
日本の美を近代建築に生かした日本芸術院会館 
 上野の森美術館を少し北に進んだところにあるのが日本芸術院会館です。
これは、芸術院会員で文化勲章を受章した吉田五十八の設計により昭和33年に竣工しました。吉田五十八は岡田信一郎の門下で、近代数寄屋建築の第1人者として有名です。この建物は設計者によると「平安朝時代の優雅、典麗の雰囲気を主調として、弘仁・藤原の面影を彷彿させ、さらにこれを近代の時代感覚によって、現代の姿に移向せしめることを意図した。従って建物は平屋建を選び、これに配するに平安特有の中庭をもってし、さらにこの周囲に廻廊をめぐらして、平安朝を端的にしかも強力に表現したつもりである」とされています。
 吉田五十八の設計した美術館として、東京・上野毛の五島美術館、奈良学園前の大和文華館がありますが、日本芸術院会館は私の好きな建物のひとつです。この建物は日本芸術院授賞式の会場で、テレビではその状況が放映され洗練された内部の様子をわずかに伺うことができますが、普段はなかなか内部に入ることができません。
 しかし、不定期ではありますが、日本芸術院所蔵の美術作品をこの展示室で公開するときが内部を見学できる数少ないチャンスです。今年は11月15日から来年2月3日まで所蔵作品展が開かれます。また、毎年秋には「上野の山の文化ゾーンフェスティバル」のイベントのひとつとして芸術院会員による特別講演会が開催されます。
 今年は11月5日に歌人の馬場あき子先生の「歌にみる現代」と題しての講演会が開かれる予定で、私も申し込み中ですがまだ返事が来ていません。数年前、歌人の岡野弘彦先生の講演をあの落ち着いた雰囲気の会場で拝聴し感激しましたが、今年も何とか抽籤で定員200名に入らないものかと心待ちにしているところです。
 こうして、講演を拝聴したり、展示された作品を拝見するのは当然楽しい事ですが、そのときに「優雅、典麗」の建物を見学し、「平安特有の中庭」や「この周囲に廻廊」を巡りながら、「弘仁・藤原の面影」を偲ぶのもまた格別なものです。


■第10回 上野の杜の建物よもやま話(2)

内外名演奏家の舞台としての東京文化会館
 上野駅の公園口を出で正面に現れるコンクリート打ち放しのダイナミックな建物が東京文化会館です。東京都が開都500年(1457年江戸城築城を起源)を記念して建設し、昭和36年(1961年)4月に開館しました。
 オペラ劇場形式の大ホールは2303席でオペラ、バレー、オーケストラなどの演奏会、小ホールは640席の特殊な扇形でチェロとかチェンバロなどの独奏会とか小編成の演奏会向きです。その他各種の会議室、リハーサル室、音楽資料室を備えた日本屈指のクラシック音楽のコンサートホールです。
 ル・コルビュジエの門下・前川國男設計による日本の戦後モダニズム建築の傑作だと評価されている地上5階、地下2階の建物で、ホールの内部は、彫刻家の向井良吉、流政之のコラボレーションで造られています。                        
 平成10年(1998年)にリニューアルが行われ、書家の篠田桃紅によるロゴマークが採用されましたが、これは石とコンクリートの硬い塊の空間の中に、温もりを感じさせるものです。この篠田桃紅がタウン誌「うえの」の巻頭にときどき登場する書にまつわるエッセイは私の愉しみのひとつでもあります。
 
巨匠ル・コルビュジエが設計した日本で唯一の作品:国立西洋美術館
 国立西洋美術館の本館は、昭和34年(1959年)フランスから松方コレクションが寄贈返還されるに際し、このコレクションを収蔵・展示する美術館として建設されました。
 フランスの生んだ20世紀建築界の最大の巨匠ル・コルビュジエ(1887〜1965)が設計したもので、日本における唯一の作品で、ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」(@ピロティ…吹き抜け空間…、A屋上庭園、B自由な平面、C横長の大きな窓、D自由なファサード…建物を壁の変わりに柱で支える…)を忠実に集大成した展示空間だといわれています。昨年ここで開催された「建築探検…ぐるぐるめぐるル・コルビュジエの美術館…」(2004.6.29〜9.5)では、ル・コルビュジエが意図しながら一般には気づかないようなこの建物の16のチャックポイント(床照明、雨樋、天井の高さなど)を解説するもので、極めてユニークなものでした。
 当初この本館のみでしたが、その後、昭和54年(1979年)には新館、平成9年(1997年)には前庭愛弟子・前川國男(1905〜1986)の設計によるものです。織部焼きを思わせるくすんだ緑の外壁が見える2階の休憩室は私の好きなスポットです。
 建築家の前川國男は、この上野公園だけでも国立西洋美術館・新館のほか前述の東京文化会館、東京都美術館(後述)とそれぞれ特色のある大きな公共建築を3棟も設計したことになります。

 余談ですが、前川國男は、パリのコルビュジエの元から帰国して直ちに取り組んだ東京帝室博物館の設計コンペに昭和6年に応募しましたが、その前提条件とされた平面図と伝統洋式を敢えて拒んでコルビュジエ風のモダニズムで応募しましたが見事に落選でした。しかし、その落選作は現在でも近代建築として十分通用するような斬新なデザインです。
前庭には、松方コレクションを代表するロダンの「考える人」「地獄の門」「カレーの市民」「アダム」「エヴァ」ヌ、ブールデルの「弓をひくヘラクレス」が前庭に展示されています。彫刻は変わらなくても、背景の樹木が季節や天候のよって移り変わりますので、受ける印象も折々変化して移り変わる別の面白さを楽しめます。

 あまり知られていませんが、ここは毎月の第2と第4土曜日、文化の日(ただし、常設展示のみ)は無料で入館できますので、西洋美術の名作を気楽に楽しむ事ができます。また、1階のミュージアムショップ、資料コーナー、デジタルギャラリー、カフェ「すいれん」は、フリーゾーンとして観覧券なしでも利用できますので、時間が空いた時に有効に活用するのもひとつの方法です。
この国立西洋美術館で開かれた美術展で最も印象に残っているのは、「ミロのビーナス」(1964.4.8〜5.17。 4/29見学 200円)と「バーンズ・コレクション展」(1994.1.22〜4.3。 2/5と2/12見学 1400円)です。
ビーナス展の時は、行列が科学博物館の方まで延々とつづいていていました。ようやく入場できても人並みの押されたままはじき出されてしまったほどでした。

 また、バーンズ展も、これまで文字通り館外貸出し厳禁のバーンズ・コレクションの珠玉の傑作が公開されるとあって、開会当初から人気が上々で混雑が予想されていました。そこで、東京に久しぶりに30センチ以上の雪の積もった休日に見に行きました。こんな大雪では、閑散だと思い込んで……。ところが予想は見事にはずれました。靴がすっぽり埋まるほどの大雪にもかかわらず来館者が殺到し、待たされること1時間。セザンヌの「大水浴」と静物の傑作、ルノワールの裸婦、スーラの「ポーズする女たち」、マティスの「生きる喜び」など、今まで門外不出の名品がズラリと並んでまさに壮観そのものでした。
 
いくつになっても楽しめる国立科学博物館
 明治初期に設立されたわが国唯一の国立科学博物館で、本館は小倉強(文部省営繕)の設計で大震災の復興期の昭和5年2月に竣工ました。大正から昭和初期にかけて流行したタイルに縦線模様が刻まれたスクラッチ煉瓦タイルの外壁が特徴です。
 重厚な趣きのある本館に足を踏み入れると高いドーム状の天井が広がり、色鮮やかなステンドグラスを仰ぎ見ることができます。またこの建物は「科学」に則して、上空からみると飛行機の形をしているのも特徴です。 愛称は、東京国立博物館が「トーハク(東博)」と呼ばれているのに対し、こちらは「カハク(科博)」と呼ばれています。
 本館の前には、現在地球に生息する最大の動物といわれる全長30mの巨大なシロナガスクジラの模型やデコイチ(D51形蒸気機関車)があり、山の手線の線路側にはわが国ではじめて人口衛星「おおすみ」を打ち上げたロケットの発射台とラムダロケットも展示されています。オレンジ色の変わった形の工事のクレーンかと思いますが、これがロケットの発射台です。
 また、平成16年11月には新館(設計:芦原義信、地上3階、地下3階、展示面積8900u)もオープンしましたが、展示品も多過ぎてとても1日では回り切れないほどです。
 
ひっそりと建つ学術の殿堂:日本学士院会館
 日本学士院は、学術研究の頂点を極めた科学者のうちから選定された会員(定員150人)によって組織され、その前身は、「東京学士会院」で福沢諭吉を会長(明治12/1〜6)として明治12年(1879年)に創設されたものです。
 毎年6月に天皇皇后両陛下のご臨席のもと開催される「恩賜賞」「日本学士院賞」の授賞式の会場となる日本学士院会館は、荘重で気品と節度ある建物でもあります。昭和49年(1974年5月)竣工、地下1階、地上3階、延床面積4782uのこの建物の設計は谷口吉郎で、道路をへだてて建っている東京国立博物館の東洋館、竹橋の東京国立近代美術館と同じ設計者でもあります。
 この日本学士院会館は、国立科学博物館の取り囲まれるようにひっそりと建っていますが、この建物の性格からして、美術館とか博物館のように気楽に建物の中へは足を踏み入れることはできません。毎年秋に開催される学士院会員による公開講演会の時が建物の中へ入ることができる絶好のチャンスでもあります。
 しかし、この秋の第43回公開講演会は、10月29日に「昔の病気・今の病気」のメインテーマのもとに武田恒夫氏の「伝世した病絵…医学史上の一資料について…」と石坂公成氏の「アレルギー患者は何故増えたか?」の講演が開かれますが、残念ながらすでに満席だそうです。


第11回 上野の杜の建物よもやま話(3)

慈眼大師と慈恵大師の像を安置する“両大師”

 日本学士院会館と道路を挟んで向い側にある「両大師」は、寛永寺の開山・天海大僧正の像を安置する堂として正保元年(1644年)に建立され、その後、天海が最も尊敬した平安時代の高僧・慈恵大師(良源大僧正)の像をも安置したため、一般に「両大師」と呼ばれ、「開山堂」または「慈眼堂」ともいわれています。

 天海は、徳川家康・秀忠・家光3代にわたる徳川将軍からの信任が厚く、隠然たる勢力を持っていましたので、徳川幕府の“黒衣宰相”ともいわれています。天正16年(1588年)川越に喜多院を再興し、また上野に寛永寺を創建するなど、並はずれた才能を持つ卓越した天台僧でした。天海は寛永20年(1643年)に東叡山寛永寺にて入寂しましたが、出生年が明らかでなく、108歳説が有力とされていますから大変な長命の人です。

 将軍側近として重要な位置を占めると同時に、宗教上、政治上でも実力者といわれた天海大僧正は、入寂5年後、慈眼大師の諡号を朝廷から賜り、大師号としては史上最後の日本で7番目の“お大師様”となりました。その廟所は遺命により家康、家光と同じ日光山にあり、この上野の山には毛髪を納めた「天海僧正毛髪塔」が建てられています。
 
天海大僧正は、自ら寛永寺の初代門主となり他の寺院に比べて全く別格で壮大な伽藍を造り上げました。
「歌仙ほど御寺のならぶ花の山」と、上野の山には、三十六歌仙の数ほどの寺(宿坊)があると詠まれたとおり、子院36坊、本坊、根本中堂、文殊楼などの豪華な建物が建ち並び壮観だったことでしょう。慶応4年(1868年)5月15日の上野戦争(彰義隊の戦争)で殆どの建物が焼失し、上野公園内で寛永寺にかかわりがあるものは五重塔、東照宮、清水観音堂、両大師のみとなりました。

 現在の寛永寺は、子院であった大滋院の地に明治12年、川越喜多院から本地堂を移築し、根本中堂として今日に至っています。
両大師の入口周辺には表示看板や旗が乱立していて年代を感じる門の見栄えを悪くしていますが、門を入ると石畳の参道の両脇には、桜、ツツジなどの季節の花を楽しめます。天海大僧正像は、厨子の扉が閉ざされていて残念ながら拝観できませんでした。
 
寛永寺の遺構:旧本坊表門
 両大師脇の輪王寺駐車場の南端で、JR上野駅を見下ろす両大師橋側に建っているのが寛永寺旧本坊表門(重要文化財)です。江戸前期に建てられた薬医門で、黒塗りの豪壮な門です。現在の東京国立博物館は、旧本坊跡地に建てられたものですから、その規模はまさに壮大だったことが推測されます。寛永寺の場合、本坊は輪王寺宮法親王が居住されていたため、門には皇室の菊の御紋が印されています。
慶応4年5月、上野戦争のため、寛永寺の伽藍はことごとく焼失してしまいましたが、この表門は辛うじて戦火を免れました。門扉などをよく見ると、上野戦争の弾痕の傷跡が点々と残っています。

 この門は、明治15年、コンドル設計の赤レンガ造りの旧本館(帝国博物館のち東京帝室博物館)が開館すると正門として使われ、関東大震災後、現在の東京国立博物館の本館…日本ギャラリー…(設計:渡辺仁)を建設するにともない、この地に移築されました。門の脇のシダレザクラも年代を感じる古木で、秋には見事なススキもみられます。
 
東京国立博物館は建築の“総合博物館”
 上野の杜の中心は、やはり東京国立博物館です。ここには、明治以降の近代建築としての本館(設計:渡辺仁)、表慶館(設計:片山東熊)、東洋館(設計:谷口吉郎)、平成館(設計:平田設計事務所)、法隆寺宝物館(設計:谷口吉生)の5棟の展示館として使用されている建物と、膨大な資料を保管する資料館(設計:平田設計事務所)があります。

 さらに本館北側にある庭園内の木立の中には、九条館、応挙館、六窓庵、転合庵、春草盧の5棟の茶室が点在し、すべて明治以前の歴史的に由緒あるものばかりです。
東博は美術品ばかりではなく、その建物を丹念にみるといろいろな発見があるところで楽しめるところです。東博は建築の総合博物館でもあるといえます。

 本館と表慶館は近代建築として重要文化財に指定されていますが、野外展示の旧因州(鳥取藩)池田家江戸屋敷表門と旧十輪院宝蔵(校倉)も重要文化財です。
旧因州(鳥取藩)池田家江戸屋敷表門は、通称“黒門”と呼ばれ、もと丸の内大名小路(現在の丸の内三丁目)に建てられていたもので、明治時代に東宮御所正門として移築された後、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年に東博の現在地に移されました。
入母屋造りの屋根と左右に唐破風屋根の番所を備えていて格式も高く、当時の大名屋敷の豪壮な雰囲気を感じることができ、東京大学の加賀前田家の赤門と双璧をなすものです。平常は門が閉ざされていてここから入ることはできませんが、土・日・祝日は門が開かれていてここを通って帰ることはできます。春先に黒門が開かれたとき、ここから眺める桜は格別です。

 旧十輪院宝蔵は、法隆寺宝物館右側の木立の中に建っていますが、一間四方の日本で一番小さな校倉ですから見落としてしまいそうな目立たない建物です。奈良の元興院の別院に鎌倉時代に造られた経蔵で、内部の壁面には大般若経に関係する菩薩が描かれているそうですが、扉が閉ざされているので見る事はできません。
注意しないと見過ごしてしまいますが、外部の腰壁には四面に十六善神像を線刻した石が嵌められています。
 
(注)東博の建物については「メルマガIDN」のエッセイ『柳緑花紅』をご覧下さい。       
http://www.npo-idn.com/rennsai-ide.htm
(1)2004年07月01日 第54号「知られていない法隆寺宝物館
   …そのすばらしい建物と宝物とデジタル・アーカイブ…」
(2)2004年07月15日 第55号「魅力あふれる“東博”の建物(1)
   …明治以降の近代建築…」
(3)2004年08月15日 第57号「魅力あふれる“東博”の建物(2)
   …庭園内の5棟の茶室…」

第12回 上野の杜の建物よもやま話(4)

京成電鉄の旧「博物館・動物園駅」…味のある小建築

 東京国立博物館正門から西に向ってフェンス沿いに歩き、最初の信号の角にあって見過ごしてしまうほど小さな建物が京成電鉄旧博物館・動物園駅の地下駅への入口です。良く見るとギリシャ風の方形の小建築で、国会議事堂の屋根を思わせるような階段状の形になっています。
昭和8年(1933年)、京成電鉄の「博物館・動物園駅」として開業して以来、博物館・動物園への行き帰りとか、近くにある東京藝術大学や上野高校の学生が便利に利用していたようですが、平成9年4月閉鎖されました。中川俊二の設計で、内部は古代ローマのパンテオン神殿風のドームだとされていますが、現在では中に入ることができません。
 春先には、この建物をハナダイコンの花が取り囲んで咲き乱れます。こうした小さな建物がさりげなく残されているのも、上野の杜の良いところではないでしょうか。
 
東京文化財研究所・黒田記念室…無料で見られる名画と名建築
 旧「博物館・動物園駅」の信号の先が黒田記念室です。日本近代洋画の父 黒田清輝(1866-1924)の遺言により、その遺産で昭和3年に美術研究所(現在の東京文化財研究所の前身)として竣工しました。岡田信一郎の設計によるルネサンス様式のRC2階建のこの建物は、昭和初期の貴重な美術館建築として、平成13年に国の登録文化財となり復元整備されました。
 ここでは黒田清輝の代表作「湖畔」「智・感・情」を含む油彩画126点、デッサン170点のほか、写生帳、書簡、写真などを所蔵しています。週2日(木・土)が公開日で、入場無料ですから、展覧会の帰りに立ち寄ることをお勧めします。いつも空いていますから、黒田清輝の名作をゆっくり拝見することができます。
 
国際子ども図書館…華麗なルネサンス様式の明治の洋風建築
 黒田記念室の近くの大きな建物が、明治39年に「帝国図書館」として建造されたわが国最初の国立図書館です。当初、東洋最大規模の図書館を目指して建設が進められましたが、工事期間中に日露戦争が起こって工事資金が不足したため工事に8年を要し、全体の四分の一しか完成しませんでしたが、それでも東洋最大だったそうです。鉄骨レンガ造地下1階、地上3階の建物の設計は文部省営繕の久留正道、真水英夫でした。現在道路に対している面は、当初計画では側面であったため装飾は決して多くはありませんが、縦長の大きな窓と柱、柱の上部に取り付けられたメダリオン(円形装飾)は、華麗なルネサンス様式の明治期の洋風建築を彷彿させるものがあります。
 昭和4年に正面左側の三分の一が増築され、その後、国立国会図書館支部上野図書館として利用されてきました。平成8年から安藤忠雄の改修設計によって工事が進められ、平成14年5月5日、国立国会図書館国際子ども図書館として全面開館しました。
 入口は大きなガラスのボックスが斜めに貫通するようになっており、裏側には大きなガラスに覆われた明るく開放的な廊下が設けられています。1階の「世界を知るへや」(旧貴賓室)、2階の「第2資料室」(旧特別閲覧室)、3階の「本のミュージアム」(旧普通閲覧室)、大階段とそれに続く廊下部分の天井や壁の漆喰装飾は明治の帝国図書館創建時の姿に復元されています。
 
東京藝術大学の建物群
 上野の杜は数多くの名建築が密集しているところですが、その中でも東京藝術大学の構内は東京国立博物館と並んで、話題になる近代建築が林立しているところでもあります。
 
@東京藝術大学大学美術館…ユニークな自画像コレクション
 東京藝術大学の前身である東京美術学校が明治20年に設立されて以来、研究のために収集してきた貴重な収蔵品をまとめて展示する美術館として平成11年4月開館しました。設計は六角鬼丈で、地上4階、地下4階のうち展示室は地下2階と3階の2フロアーで、地下2階は常設展示を主として、様々な展示に対応できるよう白い箱型展示室に設計されています。
 その収蔵品は国宝・重要文化財32点を含む28000点という有数のコレクションです。そのなかでの特色は東京美術学校の開校以来集めてきた学生の作品で、とくにユニークなのは油画(西洋画科)の自画像の一群です。有名な収蔵品としては、国宝の「絵因果経」のほか浅井忠の「収穫」、高橋由一の「鮭」、上村松園の「序の舞」、狩野芳崖の「悲母観音」(いずれも重文)など学校の教科書で馴染み深いものが数多いのが特徴です。
 
A正木記念館…正木校長の功績を顕彰 
 東京美術学校の校長として32年間在任した第5代校長正木直彦の功績を顕彰するために寄付によって昭和10年に竣工したもので、金沢庸治の設計で、白の漆喰壁、入母屋の瓦屋根は日本の伝統の美術を評価してきた美術学校の姿勢を反映しています。2階には正木校長の希望により、日本画を展示するための書院造りの和室の展示室が作られているようですが、まだ見た事はありません。
 1階には沼田一雅が昭和11年に製作した陶造の「正木直彦先生像」が置かれています。
 なお、岡倉天心像(平櫛田中作)が安置されている寄せ棟屋根の瀟洒な六角堂(昭和6年)も同じ金沢庸治が設計したもので、通称「奥の細道」と称される木立の中に建っています。
 
B陳列館…岡田信一郎“ギャラリー三部作”のひとつ 
 東京藝術大学の美術学部の門を入ってすぐ左側の建物が陳列館です。昭和4年竣工した西洋風の展示館で、近代美術館の展示空間の嚆矢ともいうべき建物です。岡田信一郎の設計で、スクラッチタイル、トスカナ式の飾り柱、天窓があります。黒田記念館(登録有形文化財)、東京府立美術館(いまは東京都美術館に建て替えられました)とともに、上野の杜に建つ岡田信一郎の“ギャラリー三部作”の建物のひとつです。
 岡田信一郎の代表作は、大阪中之島中央公会堂(大正7年)、鳩山一郎邸(鳩山会館、大正12年)、歌舞伎座(大正13年)、明治生命館(重文:昭和9年)と建築様式的には全く別の種類にもかかわらずそれぞれの分野で高く評価されている建築です。さらにニコライ堂(重文)の補修を手がけたり、銅像の台座設計も数多く残しています。藝大構内では橋本雅邦、川端玉章、フェノロサの胸像台座を設計していますが、上野公園内で最も大規模の台座は「小松宮彰仁親王銅像」(銅像制作は大熊氏廣)で、上野動物園入口の左側にあります。
 
C絵画棟内の「大石膏室」…石膏の大コレクション
 絵画棟の1階には大石膏室があります。昭和10年にボストン美術館から寄贈されたミケランジェロ(メディチ家の墓碑)、ドナテルロ、ヴェロッキオ(レオナルド・ダ・ヴィンチの師)などのルネサンス巨匠の石膏像34件と、日本における西洋彫刻の基盤を築いたヴィンセンゾ・ラグーザの遺品16点がその中核となっています。
 ミロのビーナス、サモトラケのニケを初め、ロダンの「バルザック像」、「青銅時代」など国内では質量ともに最も優れているといわれる石膏像が所狭ましと置かれているところです。
 この部屋には関係者以外は立ち入ることはできません。しかし1階ですから外からガラス越しにどんな状態かを垣間見ることはできます。もし機会があったら是非とも大石膏室の中に入って見学しておきたいところです。
 
D赤レンガ1号館(旧上野教育博物館書籍閲覧所書籍庫)
東京藝術大学の音楽学部側の門を入って左に折れたところに赤レンガの建物が2棟建っています。明治13年(1880年)に竣工した東京で最古の赤レンガの建物で、文部省が明治9年にこの地に上野教育博物館を建設し、その付属図書館の書庫として造られました。設計は林忠恕で、旧新橋駅(汐留駅)を設計したアメリカの建築家ブリジンスの弟子にあたります。
 
E赤レンガ2号館(旧東京図書館書庫)
 こちらは、明治17年に設立された旧東京図書館の書庫で、明治2年東洋人として初めてアメリカのコーネル大学に留学した小島憲之の設計により明治19年(1884年)に竣工したものです。小島憲之は、孤高の建築家で、英語教育にも定評があり、夏目漱石の師でもあったとのことです。
 
F東京藝術大学奏楽堂…音響特性重視のコンサートホール
 岡田新一(岡田信一郎ではありません)の設計で1140席を有するシューボックスタイプのコンサートホールです。管弦楽、弦楽合奏、オペラ、合唱、邦楽、声楽ソロ、パイプオルガン演奏等の用途に対応でき、それぞれの使用目的にかなった最適な音響特性を変えられるよう客席の天井全体を可動式にして変化させる方法を取り入れているそうです。
 モーニングコンサートや定期演奏会が開かれているようですが、残念ながらまだ一度も中に入ったことがありません。旧奏楽堂と比較のため、機会を見つけてコンサートに行きたいところです。
 
東京音楽学校奏楽堂…今なお現役のコンサートホール
 明治23年元東京音楽学校の構内に建てられた木造2階建ての日本最初の西洋式コンサートホールで、設計は文部省営繕の山田半六と久留正道で、音響設計は上原六四郎が担当したといわれています。音響計画に基づいて設計されたわが国はじめてのコンサートホールとして、建築学上極めて貴重な建物であることから、昭和63年1月、重要文化財に指定されました。
ホールの舞台正面のパイプオルガンは大正9年に徳川頼貞侯爵がイギリスから購入し、昭和3年に東京音楽学校に寄贈されたもので、日本最古のコンサート用オルガンです。
 滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕作が歌曲を歌い、三浦環が日本人初のオペラ公演でデビューした由緒あるところで、日本における西洋音楽発祥の記念建造物でもあります。ここで日本初演された曲はベートーベンの「運命」「田園」「合唱」交響曲、ビゼーの「アルルの女」、グリークの「ペールギュント組曲」など数知れないといわれています。
 老朽化が進んだため昭和56年に使用が中止となり、撤去されることになりましたが、保存運動が起こり、昭和58年に東京藝術大学から台東区が譲り受け、昭和62年現在地に移築復元工事が完了しました。奏楽堂の音響効果の素晴らしさは定評があり、現在でも年間百回以上の演奏会が開かれている現役のコンサートホールです。
 
東京都美術館…公募展の牙城から脱皮して企画展も充実
 大正15年(1926年)に開館した旧東京府美術館(東京都美術館、設計:岡田信一郎)は、建物の老朽化が進む一方、利用団体・出品作品・入場者の増大により狭まくなったことから建て直すことになりました。現在の建物の設計は、東京文化会館、国立西洋美術館新館と同じ前川国男によるもので、昭和50年3月完成し、同年9月開館しました。「日展」「院展」などの公募展のほか企画展も活発に開催されています。
         
 上野の杜には、上記の近代建築のほか、寛永寺、東照宮(重文)、旧寛永寺五重塔(重文)、時の鐘、五條天神社、花園稲荷神社などの明治以前の歴史的由緒ある数々の建物もあり、これらを巡るだけでもかなりの時間が必要です。
 上野の博物館、美術館に来られたら、ちょっと足を延ばしてこれらの建物を1棟でも2棟でも見てください。すると上野の杜で新たな発見があり、楽しさがまたひとつ増えることでしょう。


■連載を終えて
 この6ヶ月は瞬く間に過ぎてしまいました。月末に原稿を提出して一息ついているとまた次ぎの月央の締切り日が直ぐに来てしまうといったことの繰り返しでした。毎月2回定期的に寄稿するということは、テーマの選定、文章の組み立て、写真の選定ということについて私にとって負担ではありました。

 しかしその負担を帳消しにするような効用がいくつかありました。そのひとつは、オーバーないい方になりますが、物の見方が変わってきたように思います。展覧会に行ったり、美術館を訪れた際に、目に触れるものが何かこれからのエッセイの材料になるのではないか、これは使えるのではないかということで物のしっかりと深く見るようになってきたことは事実です。

 文章を書くことは頭の体操といわれます。投稿前の草案をプリントして電車の往復に読み返して見ますと、重複した言い回し、長すぎて読みにくい文章、難しい言葉などパソコンに向っている時には気がつかなかったことが目に止まり、わずかな時間が推敲のための貴重なひとときとなって、結果として頭の体操をしていたのではないかと思います。

 二つ目は、定年後の単調になりがちな生活に節目ができたことです。毎月2回文章を書くという目標ができたことによって、テーマの選定、文章の構成、肉付けのための資料探しを否応無しにせざるを得ず、その間、確認のために読み返した本、埋もれていた新聞のスクラップなどの中で思いがけない再発見が何回もありました。

 三つ目は、デジカメ写真の整理についての糸口が掴めたことです。私は外出するときデジカメをいつも携帯して備忘録替わりに使っています。デジカメでは撮影日時が自動的に記録されていますから、私自身の最も正確な行動記録であると考えています。今回の『莫妄想』では、編集担当の生部さんが可能な限り多くの写真を掲載していただきました。文章が出来上がっても、最適な写真がなかなか見つからず苦労しました。撮った写真が多すぎて抽出するのに時間がかかり過ぎたからです。

 私は、デジカメの写真を撮影日順に時系列で整理しています。例えば11月3日東博で撮った写真は、「0511031東博」と名前を付けてその日の内にパソコンに保存します。1ヶ月過ぎたところで一括して「2005年12月」という名前のファイルを作り、これを外付けのハードディスクに保存したり、CDにバックアップしています。ところが、今回この方法では必要な写真が思うように抽出できませんでした。というのは、「いつかは使えるだろう」ということばかりが先走って、好奇心の趣くまま写真を撮り続けたために、撮影枚数が老化した私の頭の管理限度を越えてしまい、検索にかなりの時間を要したからです。あるときには目指す写真が見つからず、再度取り直しに出向いたこともありました。

 その反省として、「時系列整理」にプラスして「項目別整理」を導入しなければならないことが判りました。既存のものまで整理をするのは難儀ですから、将来に向って、これからはファイルの名を付ける時に詳しい項目を付記することにしました。例えば、「051103東博」を、「051103東博・建物」「051103東博・樹木」「051103東博・展示品・陶磁」「051103東博・展示品・茶道具」「051103東博・ボランティア活動」というように……。 

 メルマガIDNの読者からは、ありがたいことに「毎回読んでいます。」とか「次回を愉しみにしています。」「いつでも手元で読めるように子供にプリントさせて読んでいます。」などの感想が寄せられました。
プリントしてご覧いただいているという方が何名もおられましたので、私も全体を通して印刷してみました。A4版の用紙に2ページずつ片面印刷しますと、「柳緑花紅」は13回分で39ページ、「莫妄想」の方は12回分で25ページとなり、分量の多さに自分でも驚きました。これをふたつに折って表紙を付けて綴じればA5版の冊子本が出来上がります。こうしておけば、活字は多少小さいですが、見たい時にはパソコンを開くことなく手軽に見る事ができて便利に使っています。

 ところで、東博本館前のユリノキの紅葉が特にきれいです。好評で大盛会の「北斎展」(平成館)と「華麗な伊万里・雅の京焼」(表慶館)が12月4日までと会期がわずかとなりました。まだご覧になっていない方にはお勧めです。今後これだけのものは当分見られないでしょうから…。重要文化財の表慶館の中に入ることができるのも久しぶりです。是非、建物の内部の装飾を見学することもお忘れなく。
最後になりましたが、前回の「柳緑花紅」に引き続いて、投稿の機会を与えてくださいました奈良原理事長に感謝申し上げます。また、毎回の掲載に関し多大なご配慮をいただきました生部さんに厚く御礼申し上げます。
 ご愛読いただきました皆様に御礼申し上げ、「莫妄想」終了のご挨拶とさせていただきます。
 
最後に失敗談をひとつ。
 11月27日に益子へ行ってきました。IDNのバスツアーで平成14年5月、益子の窯をご案内いただいた陶芸家の菊池昭さんが近作の作陶展を「つかもとギャラリー」で開催中(11/23〜12/4)だというので伺った次第です。IDNの皆様の中には懐かしいと思われる方も多いかと考えて、この稿に掲載しようと会場内で菊池さんの新しい技法による新作とか地元新聞に大きく紹介された大皿などを愛用のデジカメに収めました。帰宅して写真をパソコンに保存しようとしたところ、どこを探してもカメラが見当たりません。私の不注意でどこかに落としてきてしまったようです。

 したがって、菊池さんの話題の新作も紅葉のきれいな山の上の蕎麦処「かまくら」(バスツアーの時、昼食をしたところ)の写真が掲載できず寂しい最終回になってしまいました。作陶展の会場で菊池さんのご推薦の備前風徳利で自棄酒を飲んでこの原稿を書いていますので誤字・脱字、あるいは意味不明の部分があるかもしれません。ご容赦ください。

■連載を終えて―My Museum 東京国立博物館―
 東京国立博物館の3つの魅力は、
@膨大な収蔵品 
A美しい建物群(本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館)
B落ち着いた環境(庭園、茶室、樹木)で、四季を通じて楽しめるところです。
こうした恵まれた上野の杜で、東博ボランティアの皆様と楽しみながらの活動も今年の4月で3年となりました。

 この間の状況をエッセイ『柳緑花紅』として、2004年5月から11月まで「メルマガIDN」へ毎月2回投稿いたしました。現在とは状況が変わって、修正したい点も多々ありますが、編集担当者のご好意により全体をとりまとめていただきました。
こちらでご覧いただけます。

 また、熱心な読者からのご要望もあって、この6月から『柳緑花紅』の続編として『莫妄想』の連載を再開しました。
こちらでご覧いただけます。
時間のあるときにご高覧いただければ幸いです。メルマガでは紹介しなかった写真や表も追加されています。
 
エッセイ『柳緑花紅』の内容
 1.04.05.01 第50号 「ボランティアによる応挙館での茶会」
 2.04.05.15 第51号 「東博の外で舞う蝶・中で舞う蝶(1)」
 3.04.06.01 第52号 「東博の外で舞う蝶・中で舞う蝶(2)」
 4.04.06.15 第53号 「東博ボランティアによるガイド
                …陶磁エリアガイドを中心に…」
 5.04.0